2009年9月19日土曜日
北京の朝。そしてパリへ
ホテルを出たのは朝の7時ごろだっただろうか。
朝の北京も相変わらずで、黄色くにごった空気をしている。
この街には晴れも曇りも無い。
朝早いにも関わらず地下鉄は人でいっぱいで、厳重なチェックを受けながら空港へ。
北京空港は相変わらず巨大だ。さっき知った話だが、あの空港はリチャード・ドジャースだったらしい。でも、とにかくでかかったことしか印象に無い。
飛行機までは時間があった(さらに2時間ほど遅れた)ので、空港の中を歩き回り、リッチなレストランで昼食を取り、他のパリ組メンバーへのお土産を買って、夕方4時ごろようやく飛行機へ搭乗。ついにパリへ出発だ。
しかし、席はなんと真ん中。外は見えないし、映画も面白くないし。生き地獄状態だったが、逆に樋口君とゆっくり話す時間も出来た。自分の設計スタイルのこと、将来のこと。いつも俺の話を聞いてくれて、いつも面白い示唆を与えてくれた樋口君には感謝している。
3度の食事と強制的な眠りと数回のトイレと世間話のあとに、飛行機は無事、パリ、シャルルドゴール空港に到着した。着いたのは午後8時。それでも外はまだ明るかった。ヨーロッパの夏は日が長い。
もたもたしていると、結局タクシーが寮に着いたのは、10時を過ぎていた。
2009年9月18日金曜日
北京の夜
着いたのは夕方だったけど、北京は砂埃と巨大な空港、そこを埋め尽くすほどの人の数。日はいつの間にか沈んで、冷たく黄色い空気に包まれた北京。
空港からはバスで1時間ほどでホテルの近く、??へ。道に迷いながら、夜9時を回っても、途絶えることの無い人の流れと、それを抱えても余るほどの巨大な道路と歩道。その姿を脇目に、何とかホテルへ。おなかがすいたので、すぐに夜の北京へ繰り出して、夕食をとることにした。
とはいえどこに何があるのかも分からない。ホテルを出るとすぐに夜の公園で社交ダンスの練習をするおばさんの一団(5,60人はいた!!)に出くわした。近くでは胡弓や三味線の練習をしているおじさんもいる。社交ダンスのポップな音楽と胡弓の柔らかな音色、脇には片側4斜線の巨大な道路、騒音と入り混じった人の熱気が北京の最大の魅力だ。
近くにレストランを見つけ、言葉が分からないが、何とか注文し、ささやかに、ぬるい青島ビールで乾杯し、おいしいものを格安で、大量に食べた。この物価の安さも中国の魅力。
食事のあと、天安門まで裏道を歩き、大通りを歩き、歩き、歩き。飛行で疲れた体には限界だった。この街は歩けるスケールを完全に超えている。それなのに、歩いている人が大量にいる不思議な街だ。近くの個人商店(12時でも開いてる)で水を買って(水道水は飲めない)、ホテルに戻って、なぜか瑠璃ちゃんとスカイプして、眠った。明日は朝早く起きなければ。。
福岡発
忘れないうちに着いた当初のことも、遡って書いておきたい。
まずは、パリに着いたときのことから。
来るときは、初めてのヨーロッパだったこと、中国で1泊しなければならなかったこと、ベルギーに行くよりもパリ経由でブリュッセル入りしたほうが安いのではと考えたため、樋口君も一緒にパリまで行くことにした。
福岡を出発したのは、9月の18日3時ごろの便だったと思う。
見送りにでぐ研のM1みんなと、池田君も着てくれた。
入国審査に入るとき最後に見た日本は、逆光になったみんなの影と、よく反射する空港の床に伸びるその姿が、いやに記憶に焼きついている。