2010年1月25日月曜日

早めに書いとかないとと言いつつ、遅くなってしまい、もはや忘れ気味の東欧旅行について。

ブダペスト続き、

ブダペストはなんと言っても温泉だ。温泉とはいっても水着着用で温水プールのような感じ。
ある人が日本人は何もない丸裸の自然の姿を好み、西欧人は自然を常に征服しようとすると書いていた。しかし、ヨーロッパの人も意外と家には靴を脱いで入るし、ヌーディストビーチのようなものも存在している。テルメ・ヴァルスにもあった。(間違って(?)ヌーディストゾーンに入ってしまった。。。)

日本では江戸時代まで街の銭湯も混浴で、風紀が乱れきっていたらしく、明治になって男女が分けられた。しかし、ヌーディストたちに男女の区別はない。

しかも、夜のブダペストの温泉も、テルメヴァルスもなかなかムーディーで、そこかしこでいちゃいちゃしている。俺はそこに居づらくなって、湯に身をゆだねて、ぷかぷか流木にでもなった気でいるしかないのだ。

プラハ

プラハはシナゴーグめぐりが良かった。
ユダヤ人が集まってすむ地区には数多くのシナゴーグが存在している。シナゴーグにはキリスト教の教会と違い様式というものがないようだ。イスラムの影響を強く受け、幾何学文様で埋め尽くされたもの。キリスト教会のような身廊と側廊を持つもの。家のような小さな部屋に祈るための椅子がぐるっと置かれたもの、様々である。流転して世界の様々な文化に触れてきたユダヤ文化の多様性を示すものなのだろうか。
中でも、ユダヤ人墓地とその横のシナゴーグが良かった。
堂内には第二次大戦で虐殺されたユダヤ人の名前と生年月日、虐殺された場所がアルファベットで書かれ、延々と壁いっぱいを埋めくしている。文字という究極に抽象化されたものが、群として集まったときに人の心に訴えかけてくる力、美しいでも怖いでもなく、ただただ圧倒された。
その外のユダヤ人墓地も音のない圧力のようなものを感じた。周囲からは壁と住宅で隔離された街区の中に、雪の積もった林があり、そこに数百もの石造りの墓石が並んでいる。家型や長方形の墓は、きれいには並んでおらず、時間をかけて、ひとつひとつ積み重なっていったものだろう。
この墓地を見て感じたことは、墓地がある瞬間に都市に見えるということだ。家型と直方体。フランスの墓地でも巨大な墓が、どれも家や教会を模して作られていた。その理由のひとつとしては墓が死者の死後の住宅として考えられているということが考えられるだろう。
また、京都では死を忌み嫌って、墓地は平安京の外に作られた。しかし、近代化の中で、都市が拡大し、墓地は都市拡大を抑制するタガとして、また、都市内の侵されることのない貴重なオープンスペースとして残っていった。
フランスではどのように墓地が作られたのだろうか。パリには4大墓地があり、巨大な場所が都市内に確保されている。しかし、周囲は塀に囲まれており、街路から広がりを感じるということはあまりない。歴史的な都市の発展から読み解いていくことも面白いかもしれない。

ウィーン
また後日。

新年初建築旅行 en ルランシー

確か2日だったか。今年最初の建築めぐりはパリ北東の郊外、ル・ランシーだ。
この街にはオーギュスト・ペレのルランシー教会がある。

この教会は本当にきれいだった。
鉄筋コンクリートを発明した?ペレがその構造を使って設計した教会。
鉄筋コンクリートとは思えないほど細い柱と、ヴォールト屋根。
プレキャストのブロックタイルを外装に使い、そのタイルの穴ごとに色つきのステンドグラスが埋め込まれている。
堂内はひんやりとして、窓の外の明るさで、ステンドグラスが光って見え、赤や黄色、青の輝く屏風にぐるっと囲まれた様な感覚。
きれいだなと思ってステンドグラスを眺めていると、突然日光が雲間から除いて、堂内に日が差し込んできた。
すると、とたんに雰囲気が変わった。外の世界の音は消え、しづかな森に黄金色の光が木々の間から差し込み、張り詰め、冷えた空気を、ダイヤモンドダストのようにさらに輝かせ、震えた空気はどこまでも広がる森の中に響いていく音のない音楽のようだ。森のなかに規則正しく並べられた椅子は、森の奥の青と群青に赤と緑がちりばめられた光の中を向いている。

鹿児島のザビエル記念聖堂も同じように、ぐるっとステンドグラスに囲まれていた。そのときは赤い光が南から入って青い正面の壁と赤い世界の対比がすばらしかったが、ルランシー教会のような空間の広がりは感じなかった。むしろ光と色で満たされた小さく丸い卵の中のようなイメージ。

この教会はむしろ森だ。
見るものを、無限の森をさまよう子羊に変えてしまう、魔力を持った教会だった。

アレサンドロのみ

金曜日はアレサンドロたちの家で仮装パーティーがあった。
学校の授業もほぼ終わり、残すはプロジェのみということを祝って?最終提出前の最後の週末にプロジェの人を集めて、パーティーをやっちゃうところがすごい。
アレサンドロの家はbellvilleの近くにあり、飲み屋も多く並んでいる地区だ。
俺はまたもや、日本Tシャツを着ていき、すごく汚くて、残念だったけど。
ナンジュンと主に飲んでいて、カンペーをけっこうな回数したらしく、帰りの記憶がない。朝起きたら、コートもマフラーもしたまま布団の上に寝ていた。
久しぶりに飲んだが、なんかやらかしていないか不安だ。
でも、なぜか時計が変わってるんだけど。。。

madridポエム

マドリッドについて

大きな谷に大きな屋根をかける。

その屋根にはたくさんの穴が開いていて、

そこには庭や、丘があったり、地上の鉄道が見えたり、タワーが建っていたりする。

その穴のいくつかは光の柱となって屋根を支える構造になっていたり、柱の中が音楽ホールとして使えるようになっていたりする。

大きな屋根は谷をつなぎ、都市の中心部と郊外をつなぐ新たな街となる。

2010年1月16日土曜日

マドリッド備考

マドリッドのプロジェについて少し。

敷地はマドリッドの南、1キロほどのところにある。

マドリッドの中央駅アトーチャ駅から続く線路と高速道路、そして貨物輸送専用の巨大な駅と荷物置き場が、丘に挟まれた幅500mほどの谷にすっぽり入っている。

北側の丘には広大な国立公園があり、池や芝生がきれいに整備されている。しかし、この公園は周囲を線路と道路で分断されており、利用者が多いとはいえないのが現状である。

さらに南側の丘には、巨大な団地住宅がそびえている。

谷よりには11階の高層住宅。道を挟んで5階建て、3階建ての中層の街区型住宅が所狭しと並んでいる。

今年ももう16日目ですが、

なかがわです。

遅くなりましたが

みなさん明けましておめでとうございます。

写真は年越しのシャンゼリゼです。
遠くにコンコルド広場の観覧車が・・見えるかな。

夜の11時半ぐらいから歩行者天国になって、凱旋門からコンコルドまで人で埋め尽くされた大晦日のシャンゼリゼ通りです。この10分後くらいに年を越して、その直後に周囲の黒人やら何陣やらと数百人でシャンゼリゼを駆け下りたという謎の年越しでした。でも、「走って年越し」は気持ちよかったです。

去年は卒計で始まり、留学までして、研究室のみんなにはいろいろとご迷惑おかけしました。
今年は就活で大変だと思いますが、お元気でお過ごしください。

ところで、今日は年末のことについて少し。(注:結果的に少しじゃありません。心して読んでください。)

まず、
クリスマスは東欧旅行に行ってきました!!
ブダペスト、プラハ、ウィーンで約十日間の旅です。

初めはブダペストに3日間。ブダとペストがドナウで隔てられていて、
温泉がそこここに湧いている街。
雪がすごかったけど、温泉は超気持ちよかった。また温泉に行きたい病になりました。

路面電車が発達し、レトロな車両が雪の街を走る。

次にプラハに3日間。
プラハも川の両岸に街が広がり、右岸の丘に王宮があるというブダペストと同じ構成。
その両岸を王の道という王宮までの参道が貫く。クリスマーケットで賑わう旧市街の中心の広場にはゴシック、バロック、ロココなどの様式建築が目白押し。
チェコの教会は白くて明るい。ステンドグラスが透明だからだろう。雪のように白く、明るい光の落ちてくる空間に金と黒の装飾が施される。フランスのような暗くて重厚なゴシック教会とは違った魅力がある。旧市街の北にあるユダヤ人街。多くの教会(シナゴーグ)やユダヤ人墓地があった。その中のひとつ。第二次大戦時に虐殺されたユダヤ人の方の名前と死亡した場所、日時が壁一面に書かれている。どんなに凝った装飾よりも、色とりどりのステンドグラスから差し込む光よりも、言葉という極限まで抽象化されたものが群として心に訴えかけてくるものは圧倒的だった。
プラハでは最低気温マイナス14度を体感し、凍死寸前になる。。。

そして
最後にお待ちかね、ウィーン!!4日間ぐらい居たかな。
ウィーンは説明しなくても分かると思うけど、旧城壁の部分にリンクシュトラッセという環状の路面電車と道路を敷き、市役所や劇場などの公共施設を建設した街。

路面電車は、ぐるっと一周する路線はないけど、乗り継げば20分で元の場所に戻れる。
この電車の車窓に次々に登場する建築群は圧巻。さらに、リンクが丸いために、王宮の庭の先に市役所が見えたり、思わぬとこに軸があって、とっても面白い。
世界最低床(地面から15cm)の路面電車だとか。
リンクの中は旧市街で世界遺産に登録されている。新築は厳しく制限されているようで、多くの建物はリノベーションをするしかない。ハンスホラインのデザインしたショップを筆頭に、小さな小さな店(間口が3mとか)が通りに軒を連ねる。ただ意外なことにファサードを変えている建物も結構あった。
でも、なんと言っても多いのが、屋根のリノベーション。古い建物の最上階を改装したり、新しい階を付加したり、デザインにも様々なバリエーションがある。
それと面白かったのはウィーンの地下鉄の駅。地下鉄といっても地面に穴が開いて、上から地下鉄が見えるところも多い。多くの駅は全く同じデザインをしていて、統一されているけど、分離派のカールスプラッツ駅以外にもいくつかの駅は少し違っていて、線路をまたいで上に改札や店舗を持っていたりして、電車が駅に潜って入っていくときにメガストラクチャーが窓から見えたりするのです。
オットー・ワーグナー設計の駅
こんな感じでくぐっていくさらにウィーンはイルミネーションもすごかった。旧市街の多くの通りでイルミネーションをしていて、そのバリエーションも、ひとつひとつの完成度もすごく高い。夜もデザインしつくされた街でした。クリスマーケットもいろんなところに出てたし。。。
市役所。前の広場には巨大クリスマスマーケットが。なんじゃこりゃ本当にきれいだった。
旧市街を歩いて横断するのは少し大変かもしれないけど、、中心のシュテファン教会からならリンクまで歩いて15分くらい。特に夜は、クリスマスだということもあったけど、歩いていても楽しい街だと思う。

あと個々の建築もすごくよかったけど、ここでは少しだけ。
ワーグナーの郵貯とか、教会とか。あとはアドルフロースのアメリカンバーとミューラー邸(プラハ)もすごく良かった。
ウィーン郵便貯金局:オットー・ワーグナー
本当に透明感があって、部屋自体が空中に浮かんでるみたいだった。
アム・シュタインホフ教会:オットーワーグナー
東欧に独特の金の装飾が白い空間できれいにエッジを作っている。
でもこの旅の終わりが最悪で、、、
ウィーンからパリは夜行バスで17時間。前々日から風邪気味だった男三人は、全員バスのなかでダウン。特に俺はバスを降りたときが最悪で、フラフラで歩けないほど頭が痛くて、荷物を同じく風邪気味の男二人と女の子に持たせてしまうという、残念な結果に。
「家に着くまでが遠足です。」とはよく言ったものです。

と、これまでが東欧旅行。長いので一旦休憩してください。ここからは年末年越し編。

そして年末。
年末はベルギー、リスボン、ミュンヘンのAUSMIP組を全員パリへ呼び寄せて、みんなで年越しAUSMIP会を目論みました。
結局、残念ながら樋口君と久田君は来なかったのだけど、福原さんはパリに来て、他のAUSMIP組も10人位来たかな。みんなで各国のプレゼンをしたり、お土産を持ってきて飲んだり食べたり、プレゼントを交換したり、結構いろいろして、楽しかったのでした。
福原さんごめんなさい。写真勝手に使いました。ブリュッセルの街と大学などについてプレゼン。大体このぐらい。何人か潰れてすでにいないけど・・
でここに帰ってきます。はあ、長かった。
年を越すとみんな叫んだり、シャンパンの栓を飛ばしたり、ロケット花火打ち上げたり、とにかくにぎやかでした。

そして最後に、これはモンマルトルの丘から見た、1月2日の初日の出です。(元日は曇りで日が出なかったので…)日に照らされた屋根と無数の煙突から登る白い煙を見たとき、この街の汚いところも、いやな出来事も全部忘れて、純粋にこの街に来てよかったと心から感じてしまいました。

では、長い文章読んでくれてありがとうございました。
この一年がみんなにとって良い一年でありますように。
本年もよろしくお願いします。

中川聡一郎

2010年1月12日火曜日

高架建築

パリの西部バスティーユからリヨン駅に至る一帯に昔の高架を利用したギャラリーができている。
屋上(路面)は庭園に。アーチの下を小割りの店舗などとしている。
しかし、このリノベーションには少しがっかりした。
高架の裏の空間が死んでしまっているところが多く、庭園も周囲と関係を持っている部分が少ない。
一部は高架をまたいだり、外壁に接触してベンチが置いてあったりするが、基本的には住宅内と目が合いそうで居心地が悪い。 あとエッジがまずい。バステーユの近くでブツリと切れている。いただけない。
庭園と建物、庭園と下の階との関係がもっとあっても良かったと思う。
あと、店舗部分を空けて、裏の住宅の前庭にするとか、周囲との関係を改善すれば、面白くなる可能性は十分あると思うのだが、

そういえば、ブローニュビヤンクールの近くにも高架下のギャラリーがあった。こっちのほうがスケールが大きかったが、今も鉄道が走っていて、関係があるとはいえない。でも、高架下が大きいため、存在感があるし、ところどころ抜けて道路が通っているところは開放的で気持ちよかった。

高架のスケールの問題なのか???
そういえば学校の近くにも高架の跡がある。すでに一部は倉庫をリノベーションした商業地区の門として利用されているが、今後変化していくのだろうか。
都市の中で異彩を放つ構造物として、魔女の宅急便でもでてくるが、世界でもリノベーションの事例が結構ある。(アメリカのを本で見たことがある)ちょっと調べてみたい。

睡蓮の庭とモネとジヴェルニー

金曜日はオランジュリーへ行った。

モネの睡蓮を見るためだ。

念願の睡蓮。モネの庭を見てからずっと行きたいと思っていた。

オランジュリーは小さい美術館だが、睡蓮が楕円形の部屋の壁いっぱいに並べられている圧巻の展示方法。

その中で、睡蓮の池は四季の移ろいと日々の時間の流れを映し出していた。

朝の夜が明けきらない池。昼の青空を移しこむ池。夕日でオレンジ色や黄色や赤に染まる池。

深く暗い、群青とも深緑ともつかない色で描かれた睡蓮の葉。そこに弱く、弱く浮かび上がる白い花。その色はエメラルドグリーンに近いような色で表現されている。

今までモネの睡蓮は抽象化されすぎていて、単調で好きではなかったが、この絵を見て気が変わった。巨大な絵の中には単調さなどない。どこも違っていて、どこも今にも変化しそうな動きがある。短い時間だったが感動した一日だった。

ルール違反

昨日の夜はOption Photoの課題のために、夜のセーヌを撮りに出かけた。夜のパリを撮ったブラッサイ(という写真家がいるらしい・・昨日知った。)へのオマージュといったところか。

寒くて最後は死にそうになったが、写真のできはなかなかだ。

夜の街をモノクロで撮ると、なんでも絵になる。

写真を撮るのが面白くて、時間を忘れてロイと二人でとりまくった。

街頭の光がスポットライトになって、きれいな影ができる。

この寒さが和らいだら、また撮りにいきたいものだ。

まずい。。。

なんだか毎日がルーチンしているような気がした。
朝9時ごろ起きて、家でネットしながら、なんとなく作業。
まずいと思って昼ごろぶらっと外に出て、夜はまたなんとなく作業。

あと二週間だ。
やろう。


ところで、
日曜日は写真美術館に行った。
植田正治の写真集を見るためだ。
彼の作品は、砂丘で取られた「砂丘シリーズ」が有名で、
真っ白な砂と雲ひとつない空。そこにばらばらに配置された人物。
家族の日常と非日常の背景が絶妙の緊張関係を保っている。いわばコンテクストの破壊と創造だ。
それなのに、写っている人たちはこんなにも楽しそうに、生き生きとしている。
平和な空気感が漂っている。
日本に帰ったら鳥取砂丘に行ってみよう。きっと気持ちいいぞ。

2010年1月4日月曜日

ふと目を覚ますと
僕は一人、
地下のリビングルームの大きなソファに寝ている。
そこのテーブルには鍵が置いてある。
金と銀の古い鍵だ。
僕は吸い寄せられるようにして、玄関を出て、朝闇の街に出た。
坂の町には空気の流れがある。
丘の上から流れてくるひんやりとした空気をかき分けるように、息を弾ませながら坂を一歩ずつ上る。
目的地は見えない。
ゴミ掃除のおじさんがけだるそうに、しかし確実にこの街をリセットしていく。
その横を通り過ぎ、車のとまった角を右に曲がる。

ここだ。

地平線まで続くパリの街。
朝のひんやりした空気にバロックの町は小さな煙突から白い息を吐き出す。
遠くにはノートルダム教会。アンヴァリッド。モンパルナスタワーも見える。
みんな息を潜めて、この年最初の日の光を待っている。

サクレクール教会の前には、同じように、日の出を見ようと数人が集まっている。
お土産売りの黒人たちもやってきて、開店の準備をしようと敷物の上に小さなエッフェル塔を並べ始めた。

5分くらいだろうか。教会の前の階段で待つと、遠くの空にひとすじのピンクに近いようなオレンジの傷のようなものが雲に浮かび上がった。瞬く間に線は半月に、そして楕円になる。

2010年の始まりだ。
ひのひかりを浴びた街。
そろえられた高さによって、新たな地表面があるような、
そこに頭を出すモニュメント群。煙突からたなびく煙。

自分の座っている階段は、この靴は、どこか遠くに消え去って、
目に見える風景だけが世界の全てになっていた。

俺はこんな街に住んでいるのか。。
こんなきれいな街なんだ。心からそう思える瞬間だった。
今年は有意義な年にしよう。
そして家族みんなが健康でありますように。

2010年1月3日日曜日

あとひとり

今日稲垣君が帰った。
誰もいなくなった部屋は
そこらじゅうにビール瓶が転がっていて、
酒臭くて、
どこか常にぬるい空気がよどんでいた。
でもそれを全てすっきりきれいにしてしまうと
なんだか寂しくなった。。。

今年も一年が始まるんだ。。。