2009年12月30日水曜日

早めに書いとかないと忘れそうなので、東欧旅行を振り返る。

点数もつけてみよう。自分の中でどこが悪くてどこがいいと感じたのかはっきりさせる必要がある。

初めはブダペスト。

朝の4時ごろのバスでパリを出て、飛行機に乗り、2時間ほどでブダペスト空港に着く。

着陸前の窓の外は真っ白で、一面の雪景色の中に、村々や農地や高速道路が地面から盛り上がっているように見える。白という強力な統一感の下で多様性を持つ景観。8.0

しかし俺は何度乗っても飛行機からの眺めが好きでたまらない。神(ムスカ)になった気分に慣れるからか?都市計画が好きなのもそのせいかもしれない。サンテグジュペリも、その魅力に取り付かれて、ついにはそのまま空と一体化してしまった。

いきなり話がそれたが、ブダペストの空港からは列車でホテルまで、その終点の駅が、ブダペスト西駅、エッフェル塔と同じエッフェル設計事務所。

ヨーロッパの駅舎建築としてはオーソドックスな鉄骨の家型大空間。ファサードはレンガを貼り付けてあり、装飾的な双塔とシンプルな家型のバランスがいい。7.0

ブダペストはその名のとおり、町の中心を曲がれるドナウ川をはさんでブダとペストという二つの岸からなっている。ドナウの川幅はセーヌよりも大きく、流れも速い。冬の東欧の寒さでは川と親しむという考えは浮かびもしない。だからだろうか、川沿いは階段が作られているものの、人が近づくようにはなっておらず、川の向こう岸を眺めるための場所としてしか存在していない。むしろ、ブダの丘に立つ王宮とその急峻な斜面を眺めるための引きを作るための存在である。

今日はAUSMIP会

旅行から帰って間もないが、もう年末。
AUSMIP会がここパリで開催される。

昨日はまず3人来た。今日はあと二人?
意外と少ないけど、まあパリの年越しはすごいらしいから。楽しみだ。

2009年12月28日月曜日

帰ってきたぞ・・

東欧の旅から帰ってきた。

結構長いたびだった。

帰るころにはみんな疲れきっていて、男三人とも風邪を引いてしまった。

特に俺はバスを降りたころが最悪で、ふらふらしてろくに歩けもしなかった。

昼について、ノリペにご飯を作ってもらったり、茶碗洗ってもらったり、本当にありがとう。

2009年12月19日土曜日

今は夜中の4時。
ブタペスト最後の夜である。

このクリスマスは東欧で過ごすことにした。
とにかく物価が安い。

ここにはドナウ川があり、その両岸にブダとペストが広がっている。
ブダには急峻な丘が、ペストには平地が広がっている。

2009年12月14日月曜日

ヨーロッパの人の住み方

昨日の夜はホームパーティーに行った。
隣人のホームパーティーだ。
最初は隣でパーティーをやるから、うるさくなりますと断りに来たのかと思ったら、そうではない。
あなたも参加しないかというのだ。
夜。喜んでロイといった。

ギョーム家のホームパーティーも大規模なもので、爆音で音楽を鳴らしながら踊りまくった。
友永さんいわくヨーロッパは床が薄く、音が響きやすいとか。それなのに、ホームパーティーができるのか。
そこが、堀先生が言っていた「集まって住む覚悟」なのだろうか。

ノリペの課題

ノリペの課題はサクレーというパリ郊外の大地に都市を計画しようというもの。

もともとこの地にはヴェルサイユへ水を供給するための水路が通っていた。
その水路上にはいくつかの沼地が残っていて、そこにはボスケと呼ばれる小さな森が残り、周囲を農地に囲まれている。
そこで、丘の微地形を生かし、ボスケが見える範囲をひとつの領域として、都市を計画していく。そうすることで、ボスケ同士の間を埋め、ひとつの水路がサクレーの大地に浮かび上がるようにするのである。

2009年12月13日日曜日

昨日はプロジェが終わって最初の週末。
金曜はトーフとパンテオンへ。途中でロイも合流し、三人で見る。
パンテオンはルイ15世が病気の回復を祝って建てた神殿。現在ではその地下に歴代の革命後の偉人たちが眠る墓所となっている。フランス人にとってこの地下に名を刻むことは最高の名誉なのだろう。
この地下には円形平面の石造りのヴォールトがある。石の冷たい感じはなく、滑らかに継がれた壁と天井は柔らかく、ベージュの光を反射し、不思議な奥へと続く空間になっている。神楽岡幼稚園の内部はこんな感じだろうか。

土曜は朝からみんなで卓球して、昼からロイと二人で、Palais de Tokyoへ。
ラカトン&バッサルのリノベーションによる美術館。彼らがしたのは内壁をはがし、コンクリートや木造の屋根をむき出しにしたこと。そこに貼られた真っ白な壁。抽象と具象の対比が強烈になっている。
しかし、この白い壁の上では全てが作品に見えてしまう。ただの空調ダクト。ただの消火栓の穴。壁に空けられたねずみの穴。
ルーブルのような空間そのものも美術作品のような空間がある一方でホワイトキューブの器としての美術館。どちらも、どれが作品なのか分からなくなるという点では奇妙に一致している。
白い抽象的な空間に作品を置くことと、けばけばしい装飾的な空間。その両方でもない、あるがままの醜悪でさえある姿をあらわにしたこの展示室の天井。個人的には白く塗るだけで作品にする力はすごいと思うが、それだけでいいとは思い切れない。。。。言葉に仕切れない。だめだ

後でわかったことだが、消火栓の穴も、ねずみの穴もアート作品だったようだ。さらには作品のネームプレートを置く台でさえも。。。作家の思う壺ということか。

パリは雪

4年生は卒論終わったんですか!!
本当にご苦労様でした。
何もしてあげられなくて本当に申し訳ない。
卒計の相談には乗ります。池田君!質問あればいつでも連絡ください。

そして俺もProjectがついに終わりました!やっと終わった。

今回は初めてといっていいほど人間関係で苦労したチーム作業だった。というか自分の考えを伝えるのも難しいし、他の人が何を考えているのか分からないし、フォローもなかなかできなくて、、、、「じゃあ休憩にしようか!」が言えなかった。たとえ休憩しても、そのラフな世間話からアイデアが生まれるようなこともなかった。
10月から2ヶ月間ほとんど英語(時々フランス語、時々スペイン語)での議論は本当に疲れた。。

本当は課題をやっている最中に書き込みたかったけど、、遅ればせながら書き込みします。

簡単に課題を説明すると。パリ市(黒枠。スケールは左下のバーが7.5㎞)は人口200万人。周辺もあわせると520万にも達し、郊外への都市域の拡大が起きている。

現在では水運としての機能は建築資材などの少量に減少したが、もともとは水運で栄えた街で、その中心のセーヌ川がパリ市を東から西へ流れ、大西洋へと注いでいる。

現在パリの西側には新たな商業地区(ラ・デファンス地区)に超高層ビルが建設され、セーヌをショートカットするような巨大な直線の軸が西へ西へと向かっている。そのような商業の直線軸に対して、緩やかな曲線を描くセーヌ川。ここに、川の良好な環境を生かして住宅地を広げて行き、川沿いに緑地と文化施設、遊歩道などを設け、文化の軸としてのセーヌ川を背骨にして、無秩序に拡大するパリをセーヌ沿いに矯正しようというのが、全体の大きなコンセプト。

(先生の意図もこういうところにあるのだと思う。が、趣旨の説明などは一切なかった。むしろ、現在パリの都市計画を根本的に見直すために行われているグランパリ計画http://www.legrandparis.culture.gouv.fr/(世界の10人の建築家都市計画家を召集して、調査提案をさせた。)がとても参考になった。)

その上で、セーヌ沿いから敷地を選定し、具体的に設計していった。

敷地はパリのすぐ西側、セーヌの下流沿いで、右岸(北側)には平らな土地の上に放射状の街路を持つパリ市内のようなバロックの街区型の建物と近代以降の高層集合住宅が混在する高級住宅地が存在し、左岸(南側)には戸建ての住宅が斜面沿いに並んでいる。

さらに2つある中洲の一方は高級住宅地、もう一方は空き地である。この空き地はフランスの自動車会社ルノーの工場跡で、再開発されることが決まっている。この付近にはブローニュの森(中上)やフランス王室の庭園(左)などが残り、ヴェルサイユ宮殿までの参道ともなっている。

しかし、川沿い(特に左岸)には幹線道路や、高速道路、トラムや鉄道が並行して走り、水際までのアクセスを困難にしている。水際には駐車場が設置され、水面との間には高い岸壁があり、親水性は皆無。さらに川沿いには、プライベートボートが多数停泊し、ここに住む一部の高所得者だけがセーヌ川を享受している。(セーヌ川には住むことができるらしい。お金持ちのステータスになっている)

そこで、全体のコンセプトを受けて、左岸の水際に文化センターを建設し、セーヌ川をパブリックに開放すること。さらに多くのレイヤーをまたいで、近隣の住民が歩いて水際へとアクセスできるように川と丘をつなぐ道のような建築をつくろうというのが、班のコンセプトだった。形態は「木」のような、一つの根元を持って先に行くにしたがって枝分かれしていくもので、根元の主幹が文化ホールなどになっている。そこから枝分かれした道が地形に沿ってレベルを変えながら、時々内部空間を持ちながら、住宅地の間を抜けていく。
今思えば、学会コンペもIFLAも同じようなことを言っていたような気がするが、、、議論がなかなか進まなくて、結局ディテールまで設計することができなくて、不完全燃焼な部分も多いけど、講評会では先生が褒めていた(らしい。フラ語なので、班の人に聞いただけなので。。。)。

この先生の特徴は、とにかくセクションを書かせること。現在の都市計画が平面的にしかなされず、空間の分析、提案まで行っていないことに対する回答として、都市断面を取ることで、平面では見えなかった問題を浮き彫りにし、空間的な提案まで行うというもので、その趣旨自体は面白いのだが、セクションしか見ないし、機能を考えることもないので、空間の形だけのスタディになっている班が多かった。(うちもそうだ。)そのコンセプトはいいので、日本に帰るまでにもう一度やり直しできたらいいと思う。あと、次の課題(マドリッド)もあるし・・(また、やるのかぁ。。)

でも、断面的にも「木」を応用したり、根の部分はどうなるのか、などなど。まだまだ考えることはありそう。というかそもそも機能が何も考えられてないし。

みんなの課題やプロジェクトもどんなことやってるのか(やったのか)知りたいです!!upしてほしいです!

とりあえず今は課題が終わって、毎日飲んでる今日この頃です。

そして今日、パリには雪が降りました。

朝方の30分ぐらいだけだったけど、徹夜で飲み明かした目には、窓の外の白い世界がまぶしかった。

2009年12月12日土曜日

前置きが長くなってしまったが、ここまでが全体の課題のコンセプトの説明。
ここから具体的に設計の内容に入る。

このコンセプトを受けて、私たちはパリの西側に伸びる住宅地に対して、川沿いに文化の軸を作り、商業の直線の軸と対照的に、人々が歩いて川にアクセスし、そこでアートに触れたり、緑地を楽しんだりする緩やかに蛇行する軸を作っていこうということを考えた。というよりも、これはジャンヌーヴェルが提案していたことで、それを踏襲し、具体的な敷地をセーヌ沿い30kmの中から選択した。

敷地はパリ市を出てすぐのセーヌ沿いで、ラデファンスの南、近くにブローニュの森やフランス国王の庭園などが残る住宅地である。また川にある2つの中洲のうちのひとつとその対岸(右岸)には、ルノーの巨大な工場が80年代まであったものの、現在では全て取り壊され、巨大な空き地となって、新たな住宅地開発が進められている。その周辺はパリ市のようなバロックの建物と、新規開発の集合住宅が混在する街が、平らな土地の上に広がり、放射状の街路と、街区型の建物群となっている。
その対岸、セーヌの左岸には

Project FINI!!

Projectがついに終わった!やっと終わった。
今回は初めてといっていいほど人間関係で苦労したチーム作業だった。
振り返ってみるとこのプロジェはどういうものだったのだろうか。
本当はやりながら書いていけばよかったのだと思うけど、遅ればせながら書くことにする。

まず課題自体は面白いものだった。
敷地はパリの西、セーヌの下流沿いの郊外住宅地である。
現在パリには、グランパリ計画というものがある。
パリの人口はパリ市だけで200万、周辺を足すと520万人とも言われており、ヨーロッパ随一の都市として、周辺の人口を集め、肥大化した都市は、都心の地価の上昇や都心および郊外の交通問題、郊外住宅地の荒廃、西高東低の経済格差など、多くの問題を抱えている。
これらの問題に対処するために根本的に都市計画を見直し、新たな解決法を見出す必要がある。そのために世界中の建築家や都市計画家10グループに提案をさせようというのが現段階のグランパリ計画である。
しかし、今回のProjectはこのグランパリに対するアンチテーゼとして考えられたもので、
グラン(Grande)パリがその名のとおり、大きなパリを志向し、同心円状に巨大化する都市を想定しているのに対し、今回はセーヌ沿いにその拡大を集中させ、都市の無秩序な拡大を避けようという意図があるようだ。
セーヌ川はパリ市の中心を東から西へと流れていて、その後蛇行しながら、大西洋へと注いでいる。パリは内陸にあるものの、古くから水運が発達し、セーヌも運河化されて、パリより下流の都市や大西洋に出て他国との交易が盛んに行われていた。
現在、水運としての機能は自動車や航空機、鉄道に取って代わられてしまっているものの、現在でも建築資材の運搬などに利用され、また、セーヌから川沿いの建物を眺める遊覧船は観光の目玉となっている。
現在パリ市の西側には、ラデファンスと呼ばれる新都市地区がある。これはグランプロジェの一環として、ミッテラン大統領が行ったパリの経済活性化策にひとつで、コンコルド広場からシャンゼリゼと凱旋門を通って伸びる軸線上に商業の中心として、新凱旋門を始め、多くの高層ビルが立ち並んでいる。さらにこの軸は現在も延長する計画があるようで、パリ市の商業をになう強力な軸となることが想定されているようだ。
セーヌはこの軸を縫うように蛇行し、緩やかに流れていく。その川沿いには閑静な住宅地が並び、川岸には木々が並び、公園や遊歩道が整備されている部分もある。しかし、水運が盛んだった時代の名残で、工場などが川沿いに建てられ、巨大なスケールと住宅地の間に問題を起こしていることもある。
このように、西へと伸びる商業の直線状の軸と、そこに絡みつくセーヌ沿いに、川の良好な環境を利用した住宅地を広げていこうというのがこの課題の趣旨のようだ。
そのときに、ジャンヌーヴェルがグランパリ計画で提案していたように、セーヌ沿いに文化施設などを配置していき、住宅地の中に文化施設、緑地、川の帯をつくり、住民はここに歩いてアクセスしてくるというのが私たちの班のコンセプトだった。

2009年12月4日金曜日

隠れキャラ

六人目のパリ組が帰った。
別れはつらい。

だからさよならも言わなかった。
さよならすら言わなかったことに激しい後悔が襲ってきた。

今ごろは空の上だろうか。
空からこの街を眺めているのだろう。
そして、この走り去った一ヶ月を振り返っているのだろうか。

2009年12月2日水曜日

バルセロナ

バルセロナは本当にいい街だ。暖かいし、毎日晴れて太陽がまぶしい。
ガウディの建築群も、街に敷かれたタイルも強い日差しを受けて、その向こうにある青い青い空と暖かい空気と強い対称をなしている。
こんな町に生まれたから、ガウディの建築はかくも奔放なのだろうか。

サグラダファミリア、グエル公園、コロニアグエル教会、カサバトリョ、カサミラ。
どれも職人の手による曲線によって構成され、ディテールにいたるまで同じものは二つとない。特にカサバトリョは台頭するブルジョアの家の改修で、細部にいたるまで、丁寧に一つ一つデザインが施されている。少々けばけばしいが、青い海のような中庭と屋根裏の魚のえらのような喚起窓のついた廊下がきれいだった。
しかし、カサバトリョにしても、コロニアグエル教会にしても、サグラダファミリアにしても、内部がとても暗い。強い外の日差しを避けるように小さな窓、小さな中庭から、そこにはめられたステンドグラスによって、または部屋にちりばめられた色とりどりにタイルによって、入ってくるかすかな光。その中でうねる壁や天井は不気味ですらある。
サグラダファミリアは未完の巨大な教会。グリッドの新市街の中にあって、唯一その秩序を崩す斜行道路、ディアゴナル。その先に街の焦点となってそびえる4本の塔。最高のロケーションにある教会は、未だに完成していない。塔の横には巨大なクレーンがもうひとつの塔よろしくそびえる。
内部には腐海の底のような上から降ってくる光と、かざりっけのないテクスチャー。工事用の機材が散乱し、ここが教会であるとは思えない。


未完成の教会にシンボライズされるようにこの街もまた未完成だ。
新たな高層ビル群が地中海沿いの海岸地帯に建設され、西のモンジュイックの丘にはカラトラバの奇怪な塔が立つ。かと思えば旧市街の幅3メートルの迷路のような路地がどこまでも、奥へ奥へと私たちをいざない、そこに建つ教会は都市空間を越えるスケール感を持ちながら、光をみたし、外界と切り離されている。
新旧が混じり、ヨーロッパとイスラムが混じるこの都市はいつも、あの暑い太陽のもとで神々しく輝き続けている。

シャンゼリゼ完全体

再び夜のシャンゼリゼに行った。

今回はブリュッセル組みの小出君とノリペとの三人で行った。

前回は点灯していなかったシャンゼリゼの並木道のライトアップが点灯し、シャンゼリゼはいつもテレビで見ていた姿になった。青と白のライトに通り沿いに出た出店からの赤や黄色の明かりが加わり、街はクリスマス一色となった。年中お祭りの街の最も盛り上がる瞬間かもしれない。ホットワインやジャーマンポテト、耳あてや木工おもちゃ、サーカスから滑り台まであらゆる店が軒を連ねる。

しかし、これらの屋台は誰が営業しているのだろうか。白く塗られた木で統一されたデザインは市が一括して管理していることを感じさせる。日本では屋台や出店は暴力団の資金源となっていることも多いが、こちらではどうだろうか。また、シャンゼリゼは歩道が広く、車道の外側に並木と歩道で20mほどの空間があり、そこに屋台が並んでいる。歩道が狭い日本ではできそうにない。

ただ逆に建物のファサード工事をするときなどは街区型の建物で、工事関係者の事務所を作るスペースがないため、車道の上にピロティを作って空中にプレハブを建てている。狭い街路と広い街路の使い分けが鮮やかだ。

この日は観覧車には乗らずにエッフェル塔の1時間毎の光と音のアートを見に行った。音はいまいちだったが、エッフェル塔がパリにおいて果たしている役割、その存在感。エッフェル塔のないパリは想像できない。

2009年11月28日土曜日

おおののみ

母が来て二日目は大野先生との夕食会だった。大野秀敏と食事をして、直接話をしていることに戸惑ったが、他のみんなは自分の考えをはっきり述べる。なんで俺はこうも話が下手なのか。経た鳴りにせめて聞くのが上手くなりたい。

そのあと、夜のシャンゼリゼへ。多くの露店が並び、赤や黄色や青の光が店からあふれ出し、夜のシャンゼリゼはにぎやかな色に染まる。その先のコンコルド広場には仮設の?観覧車が出現していた。みんなでそれに乗り、シャンゼリゼがトリコロールであったことを発見。都市の祝祭性を実感して帰宅した。

母とパリと

母がパリに来た。
久しぶりに会って、二人でいろいろと見て回った。
久しぶりに日本の空気を感じて、時間がパリから日本にふっと離れた気がした。

初日は母の到着が遅かったので、シャルルドゴールに迎えに行き、そのまま寮へ。
二日目は早速シテ島とヴェルサイユに。
シテ島周辺はいつ見てもゴミひとつ落ちていなくて、パリの表の顔だ。
そのままヴェルサイユへ行き、巨大な庭を見る。そこには正確な幾何学によってつくられた巨大な庭と、大運河。どこまでも続く森の一本一本まで、計算されて人の手がかかっている。
そこになぜかあったのが、建築家の銅像の陳列。完璧な幾何学を崩すように噴水の上をまたぎ、道を横切る。建築家は自らのエゴで、世界の秩序を壊していくことに対する批判なのか。つるし上げにされ、見世物にされた銅像の頭にはハトが止まり、糞をしていた。
さらにここには、マリーアントワネットの庭も。イギリス式庭園に田舎風の集落を作り、擬似田舎暮らしを行った庭だ。どの道も曲線で、曲がりくねり、家には草が生え、自然を装っている。しかし、全てはフェイク。巨大なスケールで模倣することの限界なのか。どうも不自然に思えてしまった。
日本の庭はといえば、箱庭として、壁や回廊によって小さく切り取られているので、その細部まで再現できる。さらに背景を借景し、自然の広がりを演出する。確かに、大徳寺などの小さな箱庭に惹かれても、天龍寺の巨大な庭にはイマイチ惹かれなかった。スケールの問題なのか。
もしくは枯山水のような抽象化によって、間接的に再現するという方法もある。
切り取ることによって、ないしは、抽象化することによってフェイクだということを伝えつつも、自然を模して、それを創造させるような仕掛けを作る。そこにはイギリス庭園のような傲慢さといやらしさは感じないのではないか。

三日目はルーブルとセーヌクルーズに。
ルーブルはモナリザなどの有名作品を見るので精一杯で、作品が多すぎて、酔いそうになる。あまりに多くの視覚情報を一度に取り込みすぎて、情報酔いか。
そのあとはセーヌクルーズに。あいにくの雨だったけど、昼間のセーヌ沿いは夜見たときとは違う姿をしている。夜のほうが点在する歴史的建造物が浮かび上がって、しかも曇っていても平気なので、夜のほうが良いように思う。
そして、凱旋門に行き、ご飯を食べてから、最後にエッフェル塔に。
凱旋門から見たシャンゼリゼや他の11の通りは直線で、強い軸を持っている。パリだけが持つ強力なヴィスタ。劇場のようなバロック都市。ヴェルサイユの庭と共通する美的感覚とその徹底振りには驚かされる。
ご飯はファミレスで食べたが、エスカルゴを食べた。カタツムリとは思えない食感と、肉のようなうまみがあって、以外だったがとてもおいしかった。ワインのつまみによさそう。
そして、夜のエッフェルに。
エッフェル塔の巨大さと夜という非現実な背景があいまって、一時間ごとの音と光の演出はとてもエキサイティングだった。あいにく、ちょうど塔に登りかけているときだったので今度は塔の外から見たい。でも第二展望室からの眺めは圧巻だった。パリの街に浮かぶ数多くのモニュメント。それを結ぶ用の縦横に走るブールバール。夜の闇の浮かび上がったパリの都市構造は星座のように瞬きながら、その姿を刻一刻と変えていくのだろう。パリは凍れる都市ではない。

そして四日目は、母のたっての願いのモンサンミシェッルへ。2週間前に予約した7時の電車に乗るために朝は5時半に出発。途中レンヌでバスに乗り換え、10時半ごろに修道院前に到着。島の周りにはどこまでも続く干潟と、短い草と羊たち。平らな海と干潟に突如として浮かぶ島。そこにそびえる教会の塔。あいにくどんよりした曇りで、でもそのおかげで要塞や監獄としての島の暗い雰囲気が際立つ。
過去の写真を見ると島まで行く道路には、機関車も走っていたようで、今はまだ車で島までいけるが、この道路のために土砂が堆積し、湾内の海流を乱しているとの判断から、この道は近く撤去されるそう。
城に続く階段を登ると、上から見る海は白く、ぼんやりとたたずみ、海と陸の境目も、海と空の境目もなく、ただ全てが漂白された世界が広がっていた。
しかし、小さな路地を抜けて、内外が反復する門を抜け、修道院の最上部に行くころには、徐々に雨風が強くなり、外はついに嵐になっていた。そして、色とりどりの石が詰まれた教会を抜け、その先の回廊の間にたどり着く。今私のいる空間には、外の嵐も、にぎやかな観光客のガイドの声もない。感じるのは、ただ屋根に降った雨の滴る音とその音を通して伝わってくるひんやりとした空気だけだ。静寂の中、俺は阿蘇の縁側を思い出した。北九州市美の中庭にも似ている。しかし、あそこにはこの空気の揺れはない。ぴんと張り詰めた、息をすることも許さない空間ではない。二列の列柱のスキマから入ってくるかすかな風とぼんやりした光とリズムを刻む雨音は、こげ茶色の木の尖頭ヴォールトの薄暗い闇で増幅され、冷たい石の床に跳ね返って、俺の肌をなでてくる。その先の食堂。巨大な10本の柱で埋め尽くされた地下聖堂、窓から入る光は狭い柱の間を通って地下の空気を浮かび上がらせる。奥へと続く階段、光と影とベージュ色の石の階段。静謐で、かすかな光の美しい空間だった。

モンパルナスまで帰り、家でご飯を食べた。そして次の日学校を少しだけ見て、母は日本に帰っていった。短い時間だったけど、元気な母に会えてよかった。久しぶり話して、一緒に暮らした学部の4年間を思い出した。あのころはいつも俺の考えを話して、仕事が忙しいのにいつもちゃんと母なりに考えを言ってくれて。結局自分の頭だけで考えることには限界がある。英語だとそれができないと決め付けているのは俺自身のほうかもしれない。彼らとそうやって話し合えるだろうか。
どちらにしても、むしろ俺の行きたいところに付き合ってくれた母に感謝している。

2009年11月25日水曜日

ビルバオ

ビルバオはグッゲンハイム美術館が来るまでは鉄の街として、巨大工業地帯を形成していた。しかし、鋼工業の衰退とともに新たな魅力作りが求められた。

そこで生まれたのが、グッゲンハイム美術館と川沿いのプロムナードである。
おそらく工場が並んでいたであろう川沿いの幅数百メートルのプロムナードは歩行者と自転車とトラムだけの道であり、トラムの軌道から川岸まで芝生が植えられている。緩やかな川のカーブに沿って歩いていくと、いくつもの橋が見えてくる歩行者専用の橋も多く、どれも工夫された橋だ。いくつか橋を過ぎると巨大な灰色の塊が見えてくる。グッゲンハイム美術館だ。

大きくうねる壁。そこに張られた無数のチタンは、厚さ数ミリしかない。その数ミリの表面が曇り空の弱い光を反射し、夜には炎の揺らめきを映しながら、巨大な壁になる。
ゲーリーの作品はパリにもある。アメリカンセンターとして建てられ、今はシネマテークになっている。ここにいったときも感じたことだが、ゲーリーの建物は不思議なところから光が落ちてくる。建物の中なのに突然光が降ってくることがあるのだ。
グッゲンハイムもそうだった。夕暮れ時、曇りが晴れて、一瞬光がホールへと入ってきた。普通なら屋根で覆われているべきところが、夕暮れ時の夜の迫ってくる群青の空を映し出し、そこから入った光が同じくうねりながらも、白く塗られ、外壁とは異なる表現をされた曲面の内壁に様々な影を落としていた。

スペインマドリッド

遅くなりました。なかがわです。1週間前になるけど・・・スペインに行ってきました!!

一応名目は設計演習の敷地調査だったけど、ほとんどが観光の8日間の旅でした。始めはクラス全員でマドリッドに行き、そのあとクラスの人とは別れ、ビルバオとバルセロナに行ってきました。

まず、マドリッド。

マドリッドは、長いことバルセロナにスペイン第一の都市の座を奪われていたけど、長い間王宮が置かれていた歴史と、王室の美術コレクションを生かし、近年、有名建築家を集めて市内15の美術館、図書館を改修し、その間を結ぶネットワークをアルヴァロ・シザに任せ、新たな芸術の町に生まれ変わろうとしています。さらに、これらは歩いて20分圏内におさまり、その中にマヨール広場といった旧市街、さらに中央駅であるアトーチャ駅を含み、コンパクトで、意外に地形のある街を歩いていると次から次に見所が現れる面白い街になる可能性を大いに感じました。

中央駅、アトーチャ駅。ラファエルモネオが改修。旧駅舎をそのまま熱帯植物園にして、新駅舎を隣に建設。

ヘルツォーク&ド・ムーロンのカイシャフォーラム。発電所を改修した美術館。コールテン鋼とパトリック・ブランの緑の壁の対比がスペインの強い日差しに照らされて際立つ。

実際、現在はオリンピックに向けて市内各所で工事が進行中。

ちなみに設計の敷地は少し郊外に行ったところの巨大な貨物鉄道駅と川が交わるところ辺り。まだ前の課題が終わって無いので、説明はまた今度ということで。。

マドリッドは街は楽しいし、食べ物もおいしいし、安い。ビールも生ハムも1ユーロ!!ただ、治安が悪い。特に地下鉄にスリが大量にいて、友達が二人財布を盗まれてしまった。俺もカバンを3回も開けられて、本当に危険。みんなもマドリッドは注意しましょう。恐ろしい街。他の点は良いだけにもったいない。

マドリッドに3日いて、そのあとビルバオに一日、バルセロナに三日滞在。

言わずと知れたグッゲンハイム美術館。薄曇りの日。厚さ数ミリのチタンの外壁は薄鈍色のグラデーションを奏で、夜には炎と霧のスペクタクルを怪しげに映す。大きな作品としての美術館。

ガウディ。ここは腐海の底なんだと確信。スペインは本当に暖かくて、毎日晴れて。最高に気持ちがいい国だった。今度はポルトガルに行くついでに、グラナダとか南のほうにも行ってみたい。スペイン語選択だったことが少しは役に立ったしね。

最後にマドリッドで見つけた屋台。鉄板でできていて、閉店していると家型に。開店すると壁が持ち上がって、庇かつ照明に。街のいたるところに転がってます。

スペインの太陽

遅くなりました。なかがわです。
1週間前になるけど・・・スペインに行ってきました!!

一応名目は設計演習の敷地調査だったけど、ほとんどが観光の8日間の旅でした。
始めはクラス全員でマドリッドに行き、そのあとクラスの人とは別れ、ビルバオとバルセロナに行ってきました。

まず、マドリッド。
マドリッドは、長いことバルセロナにスペイン第一の都市の座を奪われていたけど、長い間王宮が置かれていた歴史と、王室の美術コレクションを生かし、近年、有名建築家を集めて市内15の美術館、図書館を改修し、その間を結ぶネットワークをアルヴァロ・シザに任せ、新たな芸術の町に生まれ変わろうとしています。さらに、これらは歩いて20分圏内におさまり、その中にマヨール広場といった旧市街、さらに中央駅であるアトーチャ駅を含み、コンパクトで、意外に地形のある街を歩いていると次から次に見所が現れる面白い街になる可能性を大いに感じました。

中央駅、アトーチャ駅。ラファエルモネオが改修。旧駅舎をそのまま熱帯植物園にして、新駅舎を隣に建設。
ヘルツォーク&ド・ムーロンのカイシャフォーラム。発電所を改修した美術館。コールテン鋼とパトリック・ブランの緑の壁の対比がスペインの強い日差しに照らされて際立つ。

実際、現在はオリンピックに向けて市内各所で工事が進行中。

ちなみに設計の敷地は少し郊外に行ったところの巨大な貨物鉄道駅と川が交わるところ辺り。
まだ前の課題が終わって無いので、説明はまた今度ということで。。

マドリッドは街は楽しいし、食べ物もおいしいし、安い。ビールも生ハムも1ユーロ!!毎日飲んでました。

ただ、治安が悪い。
特に地下鉄にスリが大量にいて、友達が二人財布を盗まれてしまった。
俺もカバンを3回も開けられて、本当に危険。みんなもマドリッドは注意しましょう。恐ろしい街。
他の点は良いだけにもったいない。

マドリッドに3日いて、そのあとビルバオに一日、バルセロナに三日滞在。

ビルバオも面白くて、川沿いのトラムと歩行者専用道を整備して、工業の街から大きく変化していて、そのシンボルが、、、

言わずと知れたグッゲンハイム美術館。薄曇りの日。厚さ数ミリのチタンの外壁は薄鈍色のグラデーションを奏で、夜には炎と霧のスペクタクルを怪しげに映す。大きな作品としての美術館。

バルセロナはグリッドの都市。迷路のような旧市街との明らかな都市構造の違いが印象的。さらに、グリッド都市を斜めに横切る大通りの先にあるのが、、、
ガウディ。
ここは腐海の底なんだと確信。


スペインは本当に暖かくて、毎日晴れて。最高に気持ちがいい国だった。今度はポルトガルに行くついでに、グラナダとか南のほうにも行ってみたい。スペイン語選択だったことが少しは役に立ったしね。


最後にマドリッドで見つけた屋台。鉄板でできていて、閉店していると家型に。開店すると壁が持ち上がって、庇かつ照明に。街のいたるところに転がってます。出口研の次の屋台調査はマドリッドでいかがでしょうか??

2009年11月19日木曜日

スペイン旅行

やっと家に到着。
スペインではたくさん建築を見てきた。し、たくさんおいしいものを食べてきた。
スペインでは俺が一番スペイン語が話せるという、根拠の無い優越感があったせいで、積極的にスペイン語を使うことができた。フランスでも、話せるという自身を持って積極的に話して行こうと思う。

2009年11月6日金曜日

あとからついてくる

昨日のProjectで先生に言われたこと。

面白い断面を描いて来なさい。プログラムは必要ないわけではないけど、断面の後からついてくるものです。

やっと霧が晴れた。中途半端にリサーチして、中途半端にプログラムを考えるよりも思いきっり先生たちに身を任せてみよう。そこから学べるかどうかは、俺の力次第だから。

2009年11月3日火曜日

旅行計画はお早めに

Bonsoir!
なかがわです。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
パリはめっきり寒くなりました。

朝となればはく息も白く、マフラーをなでた風は木枯らしとなって
プラタナスの葉を道の上に散らしています。

ところで、先週末は「フランスで最も美しい村」めぐりに行ってきました。
レンタカーを借りていったんだけど、片道500kmで、左ハンドルのマニュアル車で、右車線を走らなければならないという大変な旅となりました。

スタートして5分で右のミラーをぶつけ、
3時間後にはクラッチが壊れて、高速道路で立ち往生しました・・・。
慣れない事はするもんじゃないです。
連れて行かれる一台の車

でも、何とか車を交換して、2日間は村巡りが出来ました。
崖の上に建つ協会と崖の上に立つ一人の男
景色には脇目もふらず234段の階段を全力で駆け上がる二人の男。
このあと、二人のうち一人は走りすぎて、吐き気を催すほど気分が悪くなるとも知らずに・・・。

これらの村はフランス美しい村協会から「フランスで最も美しい村」として認定され、現在その数は130ほどになっています。今回行った村はどれもフランス中南部で、川で削られた砂岩の岸壁の上や下、もしくはその途中(!!)に張り付くようにして家々が並んでいるのが特徴で、アクロバティックな地形とそこから生えてきたような石造りの家が所狭しと並んでいます。
二日目以降は問題もなく、人生初のフォアグラを食べたりして、楽しいたびでした。
めでたしめでたし・・。

2009年11月2日月曜日

美しい村たち

たった今旅行から帰ってきた!!

今回の旅行のテーマはフランス南部の美しい村を車で回ること。
これらは現在「フランスで最も美しい村」として、フランス国内135ほどの村が厳しい審査基準の下、認定され、その景観や建物を保存しようと取り組んでいる。その中でも最も村が集中しているボルドーの東、Midi-Pirene周辺の村を2泊3日で見て回った。

始めはSarlat
の予定だったが、慣れないマニュアルの運転に加えて、左ハンドル右車線。出発して5分でミラーを壊し、高速に乗ってクラッチが壊れ、高速の道路上で立ち往生。レッカー移動されて、たらい回しにされて・・・散々なスタート。ここで旅行も終了か?と思いきや、保険がおり、車も無料で交換してくれるそう。人生悪いことだらけでは無い。何とか迷いながら夜の11時にSarlatのホテルに着き、少しだけ散歩して、就寝。
ホテルは気のいい夫婦がやっている、丘の上のペンション。朝は、すごい霧で、霧の向こうは空しかないのだろうけど、それはなだらかに下っていく丘が教えてくれるのみである。

朝からSarlatに行き、街を見て回る。石造りの家と迷路のような細い路地、さらに盆地の地形が、街中でも小さな坂道を作り出し、奥へ奥へ分け入っていくような間隔がとても心地いい村だった。

次はBenyac et  崖の上の城と、そこから川までの道沿いに小さな石造りの家並み、急斜面を上った先のお城からの景色は圧巻。
そしてLa Roque  崖の下の川との間の狭いスペースに、妻入りの家々が一列に並ぶ。そして、その背後には崖の斜面に張り付くようにして建つ家と、そのまた背後には、崖の途中のくぼみに砦の遺跡があった。川と崖とそのスキマの人間。空が青くて、川がきれいで、太陽に照らされた石造りの家がきれいだった。 
最後にDomme。俺が運転して、狭い坂道を登った丘の上にある村。村自体はグリッドパターンで、真ん中に四角い広場があり、そこには鍾乳洞の入り口がある。崖の上からの眺めが最高で、この地域を一望できた。すると、遠くに気球があがっているのが見えた。薄く霞みがかった空気と、広大な森と、川。カラフルな気球。夢の世界のようだった。

その後、Cahorsまで高速で行き、ホテルに着いたのが7時半ぐらい、それから夕食を食べに街へ。ハロウィーンの夜で、みんなお店の店員も飲んでしまっていて、誰も料理をつくる人がいない。でも、何とか開いているところを見つけ、フォアグラソースと鴨肉のステーキをがっつり食べた。フォアグラソースが美味しかった。そして、帰ってから、買ってきたVint Noirで飲み会。

二日目はSt Cirq Lapopie。フランスで最も美しい村(美しい村の中でも)と称される村。これも、崖の上の教会と、その斜面に続く石造りの家並み、狭い路地と石畳の道。昔はもうひとつの峰に砦があったらしいけど、今はいい展望台になって、谷を見渡せるようになっている。
この村を見ながら、ふと思った。この村の生活は成り立っているのだろうか。村には八百屋的なものも見当たらないし、農地は崖を下った谷底に少しあるだけだし、どうやって生活しているのだろうか。車で隣村まで買い物に行って、観光業で生計を立てるのか。もしくは、この村が大好きになった、アーティストやホームワーカーが住み着いていくしか、この村を維持するすべは無いのだろう。実際に多くのアーティストが住んで、小さなギャラリーを開いて、町に彩を添えているところがいくつもあった。美しい村を指定することで、村のブランド価値を高め、維持していく狙いがあるのだろう。

最後にRocamador。崖の張り付き具合は一番すごい。崖の途中に、巨大な、高さ15mほどの教会が建つ。村は観光地化しているが、Sarlatでも見かけた、ペルーの笛吹がいて、谷に響き渡る笛の音は、この街の雰囲気とよくあっていた。教会の234段の階段をロイと競争して、きつくて吐き気がしたけど、最後に崖の上の城(私有物!)に登って、見渡した世界は、足元には真下に今来た村が見えて、建物と人がごちゃごちゃ動いていて、視線を上げると、どこまでも遠くが見えて、この世界は自分のものになったような、空へ飛んでいけそうな気がした。この旅行に来てよかった。そう思えた。

ところが、帰りは俺の運転で、高速に乗ると、大雨と霧と夜の高速。最悪の組み合わせで、自分の雨男っぷりを呪った。

2009年10月29日木曜日

シュールな都市2

先日言ってたシュールな都市の発表があった。

とはいっても、俺は授業をサボったので、みんながどういうことをしたのか、よく分からないが。
ポンピドゥーの展覧会に書いてあったことは、
シュールレアリスムとは新たな見方である。日常とちょっとだけ見方を変えてみるといつも見えなかったもの、物事の新しい意味が見えてくる。
そんな一瞬を切り取った写真たちが並べられてあった。

現実を越えたところにあるもの。Sur Realism。超現実。
「SUR(シュール)」とは「超える、上の」という意味。日本語で「超」というのは、超えるという意味だが、「とっても」を意味することもある。「超すごい。」なんて言うときだ。つまり、現実の中の現実、現実をつきつめて行ったその先に現実を越えるものにぶつかってしまった。それがシュールレアリスムである。

展示会で印象に残ったのは、アイロンを連れてパリの街を散歩する映像作品だった。
本来、しわを伸ばす機能のみをもつ「アイロン」というものを街の上で引っ張る。馬鹿まじめに、ちょっと気取ってアイロンを散歩させる姿は、非常にユーモラスで、こっけいに写る。しかし、このアイロンが示しているところは、パリという街に潜む、ゆがみや表と裏、偏見と貧困。そういった社会のしわを伸ばしていきたいという宣言をしているように私には見えた。

シュールレアリスムの作品にはこのような滑稽さ、グロテスク、エロスといった言葉がついてくる。これらは作品の傾向であり、手法のひとつでしかないが、共通するのは写真や映像という新しい技術を使って、これまで見えなかったものをあぶりだすということである。

では、シュールな都市をどう表現できるのだろうか。

石田氏が例えたのは、地下鉄の駅のホームに張ってあるなんでもない写真。(とはいっても、全仏オープンの宣伝の有名選手の写真だが・・)これもどんどん視点を近づけていくと、実は赤、青、黄色のドットで出来ていることがわかる。テレビと同じ原理だが、全体で見ると何の変哲も無いが、部分だけを取り出すとまったく違うものが見えてくる。絵を突き詰めていくと絵ではないものが現れる。その瞬間を切り取ることは出来ないだろうか。

また、これとは逆の考えにフラクタルがある。部分だけを取り出しても全体を見ても違いが無いこと。それが自然の原理である。自然は常に連続し、人はそこに不連続を探して、あるいは人工的に不連続を作り出すことで、世界を知覚するのである。自然と人工の対比。しかし人工のポスターもまた自然の一部である。そのドットのひとつを拡大すれば、そこには連続面があるのだ。
とまあこれは福岡伸一の受け売りだが。

現実にズームしていくと現実とは違うものが見えてくる。そこがシュールというのはどうだろうか。

飲み会3連チャン

先週末は飲み会が3つあった。
木曜日はラ・ヴィレットの留学生全員で、夜の学校とその後は雨の中の運河沿いでパーティ。
土曜日はギョームというフランス人の家で、仮装パーティ。
日曜日はズズというブルガリア人の夫妻を招いて日本料理でおもてなし。

中でも圧巻だったのが、ギョーム家の仮装ホームパーティ。
部屋中に飾り付けをして、風呂を飲み物のクーラーに、リビングをダンスホールに、トイレを植木鉢に改造し(!!)、一晩中飲んで踊りまくる。ビットショーモン公園のすぐ脇に立つ彼の家からは、エッフェル塔が見え、その日はシャンパンタワーだけでなく特別きれいなライトアップをしていた。 こっちの人はホームパーティが好きだと聞いてたけど、これほど作りこむには相当なお金と労力がかかったはず、さらにこの後の片付けも大変なはず。恐れ入ります。

主催者ギョームはツールドフランスの選手よろしくぴちぴちの半そで半ズボン、あとはヒッピーとレゲエと、ナースと黒タイツに野菜をくっつけて踊る人。さまざま。悲喜交々。総勢30人ぐらい着ていただろうか。
とりあえず俺はフランス語が話せないので、踊ることに・・ 言葉がなくても踊ったり、音楽にノったりすることは万国共通。始めはもじもじしていただけだったが、徐々に酒も回って、久々に体を動かすのが楽しくなってきた。クラブの面白さが少し分かった気がした。
とはいえ、踊っているときは良くても曲と曲の間には、話したくなる。やっぱり言葉は必要らしい・・。

ちなみに俺たちの仮装は日本国旗をTシャツに縫い付け(夕飯の後に中華料理屋の中で製作)、女の子はトリコロールのカーディガン。結構高い完成度に自分でも満足。長い一日だったが、楽しかった。今度はクラブに行って見たい。そのためにはフラ語を練習しとかないと!!

康くんが何じゃかんじゃ言ってるけど

先週末は飲み会が3つありました。
木曜日はラ・ヴィレットの留学生全員で、夜の学校とその後は雨の中の運河沿いでパーティ。
土曜日はギョームというフランス人の家で、仮装パーティ。
日曜日はズズというブルガリア人の夫妻を招いて日本料理でおもてなし。
中でも圧巻だったのが、ギョーム家の仮装ホームパーティ。
部屋中に飾り付けをして、風呂を飲み物のクーラーに、リビングをダンスホールに、トイレを植木鉢に改造し(!!?)(写真取り忘れた!)、一晩中飲んで踊りまくる。窓からは、エッフェル塔が見えて、一時間ごとにライトアップが変化してました。超きれい!! こっちの人はホームパーティが好きだと聞いてたけど、これほど作りこむには相当なお金と労力がかかったはず、さらにこの後の片付けも大変なはず。恐れ入ります。

主催者ギョームはツールドフランスの選手よろしく、ぴちぴちの半そで半ズボン、あとはヒッピーとレゲエと、ナースと黒タイツに野菜をくっつけて踊る人。さまざま。悲喜交々。総勢30人ぐらい着ていたかな。

とりあえず俺はフランス語が話せないので、踊ることに・・ 言葉がなくても踊ったり、音楽にノったりすることは万国共通でしょ。始めはもじもじしていただけだったけど、徐々に酒も回って、久々に体を動かすのが楽しくなってきた!!クラブの面白さも分かった気がした!!とはいえ、踊っているときは良くても曲と曲の間とかには、間が持たない。やっぱり言葉は必要らしいです・・。

ちなみに俺たちの仮装は日本国旗をTシャツに縫い付け(夕飯の後に中華料理屋の中で製作)、女の子はトリコロールのカーディガン。結構高い完成度に自分でも満足。



高さ調節が絶妙でしょ??おバカなジャポネ二人組みでした(パートナーは東大の石田氏)。長い一日だったけど、楽しかった。今度はクラブに行ってみたいなあ・・
やべっ!そのためにはフラ語を練習しとかないと!!

P.S.土曜日は朝からジヴェルニーのモネの庭にも行ってきました。
今週末は「フランスで最も美しい村」めぐりに行ってきます。
以上中川でした。。。。康君。良かったね。

2009年10月27日火曜日

モネの見た世界

先週末はジヴェルニーというパリの西、セーヌの下流の街に行ってきた。
ここにはモネが晩年暮らし、自らこしらえたスイレンの庭がある。
これが10月までしか開いていないということだったので、
急遽前日の夜に行くことに決定。

当日は朝7時に集合して、一路西へ。
パリの郊外に出たのはポワッシーのサヴォア邸に続いて二回目。
ブルディエ先生は郊外に出ると10分で田園地帯になるといっていたのに、
列車は走れども走れども、郊外の一戸建て住宅地か工場などが続く。
路線沿いに街が伸びているということだろうか。

ただ、パリの郊外住宅地は、ひたすら同じような住宅がきれいに並び、
(日本のような住宅展示場のようなバラエティ豊かな住宅地ではない。)
電線が走り、住宅同士が非常に接近して立っている。(あまり日本と変わらない)

日本では同じくらいの年代が同じ地区に住み、住民の画一化も問題として発生するが、パリではどうだろうか。

そんなことを考えていると、駅に着く。そこからバスに乗り換え、20分くらい。
やっとたどり着くとそこにはモネの睡蓮そのものの光景が。
緑に塗られたちいさな橋の上から池を振り返ると セーヌから引き込んだ、透き通るような池には睡蓮が葉を広げ、 岸に立つ木々は赤く色づき、雨で波立つ湖面をかすかに染めている。 あいにくの雨も、水面を打つ音が静かな庭に響き、要らない音を消し去ってくれる。

この庭なら、いつもいつも同じ絵をかいてもいけるような気がした。 むしろ、同じ絵なのではなく、モネは毎日少しずつ違う庭の変化を繊細に感じ取っていたのだと思う。 さらに、モネの住んだ家には大量の浮世絵があり、モネの日本好きを教えてくれる。(緑の端は日本橋"Pont de Japonais"という名前!!)
当時のヨーロッパ(特に印象派)に大きな影響を与えたとされるこの浮世絵とモネの絵。 そこにあるつながりは??
近々オルセーとオランジュリーに行くことにしよう。

ジヴェルニーの後は近くにある古都ルーアンへ
ここはジャンヌダルクが火あぶりにされた街らしく、ジャンヌダルク塔、ジャンヌダルク教会、ジャンヌダルクの肖像、ジャンヌダルクだらけの町。

この街もセーヌ沿いに位置しており、街の真ん中を流れるセーヌの中洲に生まれた街である。 パリと違うのは町全体が坂の中にあり、セーヌを一番下にすり鉢上の地形をしていることだ。 直線の坂道の両端にロワール駅とセーヌ川があり、それに直行するように大聖堂とジャンヌダルク教会を結ぶ中心軸が通っている。
ジャンヌダルク教会は、伏した黒い竜のような建物で、内形は東京カテドラルに似ている。
しかし、こちらの曲線は集成材の木構造によってつくられており、 木のにおいがする堂内にはトップライトからおだやかな光が落ちてくる。 ただ、そのトップライト周辺は鉄骨で出来ており、急に木の美しさが鉄骨で失われている気がした。 少し残念。

ロワール大聖堂への道はハーフティンバーの町並みと、細い路地。 物語のような街に迷い込み、金の時計台をくぐると、少し開けた広場に巨大な教会が突然現れる。

ちょうど、広場では楽団のマーチングが、聖堂内部では聖歌隊の合唱があっていた。
教会の中では、高さ30mはあろうかという身廊の中で、音は装飾の施された柱の間を抜けて、堂内に無限に響き渡り、天井に広がる闇に跳ね返って、また自分のところへ帰ってくる。サクレクールでも感じたが、キリスト教の教会の光と音の演出には誰もが息を呑む。

パリのノートルダムに匹敵するくらいの巨大な教会を後にロワール美術館へ。モネの描いたロワール教会を見るためだ。
しかし残された時間は15分、壁に並ぶジャンヌダルクの肖像の前も、印象派の明るい幸福な絵の前も走るように通り過ぎ、やっと一番奥の部屋に、探していたその絵を見つけたときには、息が切れ、もう感動どころではなかった。その途中で一枚だけ見つけたシスレーの洪水の街の連作も良かった。また次の機会にじっくり見たい。

これだけてんこ盛りの一日は、最後に仮装パーティーという最大の山場を控えているのだが、
とりあえずは帰りの電車の中で、しばし休憩。

2009年10月22日木曜日

シュールな都市

メディアアートの授業で、
ポンピドゥーにシュールレアリスム展を見に行った。
ダリやマン・レイなどの白黒写真数百点とフィルム作品という豪華なプログラムだった。

シュールレアリスムという言葉は知っていたけど、
これまでそれほど深く考えたことはなかった。
しかし、来週までにシュールレアリスムな都市の写真かスケッチを3点提出しなければならない。
これをいい機会に考えてみようと思う。

しかし、明日がプロジェの発表なので、また明日の夜に書くことにする。

2009年10月19日月曜日

夜中の3時

言葉で伝えられない分、やることはやっておかないと。

2009年10月17日土曜日

鷲は鷹より強い?

昨日は
フランス語学学校の初級コースで知り合った
知永さんのうちでホームパーティーだった。

語学学校の後、
そのままスーパーでワインとビールを買い、
友永さんのうちに行った。
七面鳥の丸焼きに野菜スープ、チーズにワイン。
とってもおいしかった。

知永さんは建築が専門ではなくて、
プログラミングでアートを作る池田良二という
アーティストのアシスタントをしている方で、
石上純也の神奈川の工房の
柱の配置のプログラムを学部3年のときに作って!!!!
「Small Images」にも載ってる人で!!、
何かの縁でたまたま同じコースになったんです。。。すごい。

彼の考え方は明快で、
頭で考えて作品をつくるということだった。
というより、言葉で自分のやっていることを説明するということ。
ヨーロッパではそれは当たり前で、
言葉で説明できれば優がもらえても、
言葉で説明できなければ同じ作品でも、不可なのだそうだ。

飲みながらそれぞれの卒計の話もした。
俺の卒計も話した。でも話がまとまってない。農地と市街地の境界に壁を立てること。その意味は何だったのだろう。自分の興味本位だけで、楽しいからやっただけの自己満足に過ぎないのだろうか。それでは社会では評価されない。それでも評価されるのは社会でほんの一握りの天才しかいない。石上純也だって中山英之だって、自分の言葉で作品を表現できる。デザインを生み出し、決定するときには直感が必要かもしれない。でも、その先のプレゼンにおいては自分を客観的に見れなければ、人を説得することは出来ない。コールハースも自分の直感を人に理知的に伝える表現能力に優れている。そこにあるのは表現方法の違いだけだ。
俺が一番避けていたところを、俺の一番痛いところを突かれた気がした。この話は行きの飛行機の中でもした話だ。そのときも議論から逃げてしまった。

農地と市街地の境界に壁を立てること。農業と都市の関係を変えること。厚さを変えながら、そこに多様な関係を生み出すこと。壁に囲まれた世界。外の世界。世界を分けることの意味。


もう一度自分のやってきたことの意味を考えてみよう。ゆっくりでいい。自分の中で答えを出したい。そう思った。

わが学び舎です。


学校は寮からバスで20分くらいのところにある。

建築の学校だけど、芸術系の授業も多くあり、
日本の工学部の雰囲気とはちょっと違って芸工みたいな感じかな。
留学生が多く、優遇もされている。

ただ、授業は基本的にフランス語で行われるので、
何を行っているのかは全くと言っていいほど、わからない。
だから近くの人に聞いたり、
先生の手振りや表情をよく見ていなければならない。
でも、ものをつくる授業(写真や彫刻)はつくりさえすればいいので、
何とかなるし、今まで受けたことの無い授業なので、新鮮で面白い。

設計演習(こっちではProjectというらしい)は、
たぶん東江さんと同じ授業だと思うけど
留学生大歓迎の授業なので、8割くらいは留学生で、
先生もフランス語の後に英語でも説明してくれる。
さらに今年はマドリッドに行ける特典つき。
(去年はロンドンですよね?)

敷地はセーヌの下流で、パリの郊外。
自分たちで好きなところにスポットを当てて、
調査し、設計するアーバンデザインのスタジオで、
特にテーマは無く、問題点も自分たちで見つけ出す演習みたいです。

班は7人で、多すぎるけど、フランス人は一人だけで、
あとはアメリカ、スペイン、メキシコ、ベルギーの多国籍軍。
みんな英語で話してくれるので、何とかなるかな。。。
でも、英語でもぜんぜんキツイ。
言葉の壁はなかなか高いです。

授業もProjectも、追々考えたことを書いていこうと思う。
じゃあ今日はこれぐらいで。

2009年10月12日月曜日

わが城です

ってことで、俺も簡単に近況の報告を。

パリに着いたのが9月の19日だから、もうそろそろ1ヶ月になる・・!?
もう1ヶ月か!
どうやらパリでは時間の流れ方が日本と違うらしいです。

部屋は、学校指定の寮に住んでます。

一応建物は
Architecture Studioという建築グループが設計をしたらしく、
パリ市内のバロックデザインの建物とは異なり、機械的なファサードをしていて、
コルビュジェみたいな中廊下と家具にはカラフルな色が使われてます。

他のAUSMIP生と一緒の寮なので、
週に二回くらいは飲んだり、一緒にご飯食べたりしています。
しかも、こっちはワインがすごく安いのです。1ユーロワイン!最高です。
部屋にキッチンもシャワーもあるので、

お昼ご飯にはサンドイッチを作って持って行き、

夕飯はポトフとスパゲッティを毎日食べてます。

いそうろうのそういちろうです。

もりわきさんのブログに居候させてもらうことになりました!

このブログには日記の代わりと、あとは考えたことを書いていこうと思う。

これまであまりにも自分の考えを言葉にして来なかったので、、、、

2009年10月10日土曜日

2009年10月3日土曜日

2009年9月28日月曜日

2009年9月24日木曜日

2009年9月20日日曜日

2009年9月19日土曜日

北京の朝。そしてパリへ

ホテルを出たのは朝の7時ごろだっただろうか。

朝の北京も相変わらずで、黄色くにごった空気をしている。

この街には晴れも曇りも無い。

朝早いにも関わらず地下鉄は人でいっぱいで、厳重なチェックを受けながら空港へ。

北京空港は相変わらず巨大だ。さっき知った話だが、あの空港はリチャード・ドジャースだったらしい。でも、とにかくでかかったことしか印象に無い。

飛行機までは時間があった(さらに2時間ほど遅れた)ので、空港の中を歩き回り、リッチなレストランで昼食を取り、他のパリ組メンバーへのお土産を買って、夕方4時ごろようやく飛行機へ搭乗。ついにパリへ出発だ。

しかし、席はなんと真ん中。外は見えないし、映画も面白くないし。生き地獄状態だったが、逆に樋口君とゆっくり話す時間も出来た。自分の設計スタイルのこと、将来のこと。いつも俺の話を聞いてくれて、いつも面白い示唆を与えてくれた樋口君には感謝している。

3度の食事と強制的な眠りと数回のトイレと世間話のあとに、飛行機は無事、パリ、シャルルドゴール空港に到着した。着いたのは午後8時。それでも外はまだ明るかった。ヨーロッパの夏は日が長い。

もたもたしていると、結局タクシーが寮に着いたのは、10時を過ぎていた。

2009年9月18日金曜日

北京の夜

福岡空港からは、まず大連へ2時間。さらに1時間くらいで北京に到着。
着いたのは夕方だったけど、北京は砂埃と巨大な空港、そこを埋め尽くすほどの人の数。日はいつの間にか沈んで、冷たく黄色い空気に包まれた北京。
空港からはバスで1時間ほどでホテルの近く、??へ。道に迷いながら、夜9時を回っても、途絶えることの無い人の流れと、それを抱えても余るほどの巨大な道路と歩道。その姿を脇目に、何とかホテルへ。おなかがすいたので、すぐに夜の北京へ繰り出して、夕食をとることにした。
とはいえどこに何があるのかも分からない。ホテルを出るとすぐに夜の公園で社交ダンスの練習をするおばさんの一団(5,60人はいた!!)に出くわした。近くでは胡弓や三味線の練習をしているおじさんもいる。社交ダンスのポップな音楽と胡弓の柔らかな音色、脇には片側4斜線の巨大な道路、騒音と入り混じった人の熱気が北京の最大の魅力だ。
近くにレストランを見つけ、言葉が分からないが、何とか注文し、ささやかに、ぬるい青島ビールで乾杯し、おいしいものを格安で、大量に食べた。この物価の安さも中国の魅力。
食事のあと、天安門まで裏道を歩き、大通りを歩き、歩き、歩き。飛行で疲れた体には限界だった。この街は歩けるスケールを完全に超えている。それなのに、歩いている人が大量にいる不思議な街だ。近くの個人商店(12時でも開いてる)で水を買って(水道水は飲めない)、ホテルに戻って、なぜか瑠璃ちゃんとスカイプして、眠った。明日は朝早く起きなければ。。

福岡発

忘れないうちに着いた当初のことも、遡って書いておきたい。

まずは、パリに着いたときのことから。

来るときは、初めてのヨーロッパだったこと、中国で1泊しなければならなかったこと、ベルギーに行くよりもパリ経由でブリュッセル入りしたほうが安いのではと考えたため、樋口君も一緒にパリまで行くことにした。

福岡を出発したのは、9月の18日3時ごろの便だったと思う。

見送りにでぐ研のM1みんなと、池田君も着てくれた。

入国審査に入るとき最後に見た日本は、逆光になったみんなの影と、よく反射する空港の床に伸びるその姿が、いやに記憶に焼きついている。