2009年10月29日木曜日

シュールな都市2

先日言ってたシュールな都市の発表があった。

とはいっても、俺は授業をサボったので、みんながどういうことをしたのか、よく分からないが。
ポンピドゥーの展覧会に書いてあったことは、
シュールレアリスムとは新たな見方である。日常とちょっとだけ見方を変えてみるといつも見えなかったもの、物事の新しい意味が見えてくる。
そんな一瞬を切り取った写真たちが並べられてあった。

現実を越えたところにあるもの。Sur Realism。超現実。
「SUR(シュール)」とは「超える、上の」という意味。日本語で「超」というのは、超えるという意味だが、「とっても」を意味することもある。「超すごい。」なんて言うときだ。つまり、現実の中の現実、現実をつきつめて行ったその先に現実を越えるものにぶつかってしまった。それがシュールレアリスムである。

展示会で印象に残ったのは、アイロンを連れてパリの街を散歩する映像作品だった。
本来、しわを伸ばす機能のみをもつ「アイロン」というものを街の上で引っ張る。馬鹿まじめに、ちょっと気取ってアイロンを散歩させる姿は、非常にユーモラスで、こっけいに写る。しかし、このアイロンが示しているところは、パリという街に潜む、ゆがみや表と裏、偏見と貧困。そういった社会のしわを伸ばしていきたいという宣言をしているように私には見えた。

シュールレアリスムの作品にはこのような滑稽さ、グロテスク、エロスといった言葉がついてくる。これらは作品の傾向であり、手法のひとつでしかないが、共通するのは写真や映像という新しい技術を使って、これまで見えなかったものをあぶりだすということである。

では、シュールな都市をどう表現できるのだろうか。

石田氏が例えたのは、地下鉄の駅のホームに張ってあるなんでもない写真。(とはいっても、全仏オープンの宣伝の有名選手の写真だが・・)これもどんどん視点を近づけていくと、実は赤、青、黄色のドットで出来ていることがわかる。テレビと同じ原理だが、全体で見ると何の変哲も無いが、部分だけを取り出すとまったく違うものが見えてくる。絵を突き詰めていくと絵ではないものが現れる。その瞬間を切り取ることは出来ないだろうか。

また、これとは逆の考えにフラクタルがある。部分だけを取り出しても全体を見ても違いが無いこと。それが自然の原理である。自然は常に連続し、人はそこに不連続を探して、あるいは人工的に不連続を作り出すことで、世界を知覚するのである。自然と人工の対比。しかし人工のポスターもまた自然の一部である。そのドットのひとつを拡大すれば、そこには連続面があるのだ。
とまあこれは福岡伸一の受け売りだが。

現実にズームしていくと現実とは違うものが見えてくる。そこがシュールというのはどうだろうか。

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