2010年10月6日水曜日

福岡に引っ越してきましたーー。

あっという間に夏休みも終わり、新学期が始まりました。。。
そして、一回目のゼミでいきなり英語で発表してみたら、
やっぱり自分の英語力のなさに撃沈しました。。。。

せっかく引っ越してきたし、みなさん飲みましょうーー!!
あと、要らなくなった暖房器具くださいーーー。
寒くて布団から出られない病に早速かかってます。。。

家は馬出ですーー。
窓が大きいくて明るい家。ロフトがあって、天井高が高いので、大好きな前川國男自邸をまねしてイサムノグチの「あかり」風の照明をぶら下げる。
(注)写真は前川邸です。でも結構似てる。

ただネックなのは、窓が大きすぎて、前面道路と部屋が一体化してしまうところ。森山邸状態です。この家大丈夫かー。と不安になっている今日この頃。。

2010年9月26日日曜日

なかがわ in 日本

帰ってきました!なかがわです。

ってもうだいぶ前のことですけど、
7月28日、10ヶ月ぶりに日本に帰ってきました。

そのあとはどたばたで、
飲み会に行ったり、熊本に帰ったり、
東京に報告会に行ったり、夏季セミナーしたり、また東京に今度はインターンに行ったり、
クラスで雲仙に行ったりしてきました。
そして今週中には福岡に引っ越してくるつもりです。
みなさんまたよろしくーー

2010年9月4日土曜日

馬頭!!

これまた東京に行っていたときの話。


隈研吾設計の馬頭広重美術館にも行ってきました。最寄り駅からバスで1時間くらい。すごい額の交通費を払ってやっとたどり着く美術館。きれいな清流が流れる山間の村。
ちょうど隈事務所でインターンをしていたので、見ておきたいと思っていったら、すごく良かった。
後ろの山を背負って、それに合わせるでもなく、主張するのでもない、凛としてそこに佇んでいる感じ。風景のプラットフォームとなってこの景色を支えている。手前の広い駐車場が台無しにしている感もあるけど。。


古い倉庫のようにも見えるが、ルーバーの隙間が倉庫のような重さを消して、美しいモアレのグラデーションを作る。鉄骨造にルーバーとガラスだけでできているような建築。必要ないものは極限まで取り去られている。
風景を受け止める建築。背後の景色に負けるのでもなく勝つのでもない。こんないい建ち方をする建築には久しぶりに出会った気がする。前川國男以来かも。

大谷石!

先月東京に行っていたときの話。

念願の大谷石の採掘場に行ってきましたーー。
前回来たときは、タッチの差でバスに間に合わず、宇都宮駅のスタバに行くだけで帰るという苦汁をなめた、この地に再チャレンジしてきました。
大谷石は宇都宮で採れる、軽石のような石で、ポコポコ穴が開いていて、風化に弱いと聞いていたけど、宇都宮では蔵や塀に多用されていて、町中が大谷石資料館状態。
資料館前の岩山。人工と自然が隣り合う。どうしてあんな切り方をしたのか。。
地下はひんやりとしていて、夏でも寒い。

採掘のために、まず山に横穴を掘っていく。その後、下へ下へと掘り込んでいったため、床レベルが一定せず、複雑な空間構成になっている。掘り進めるとき柱を残したため、建築空間のようでもあり、そのスケール感とマッシブな表情で、建築を超える圧倒的な迫力を持つ。 実は単純なグリッド。 大谷石のポーラスなテクスチャと石切の生々しい傷跡
所々に開けられた空気取りの穴から日光が差し込む。
この採掘場を見て青森県立美術館を思い出した。
美術館に似つかわしくない巨大な空間、マッジブな壁面、変化する床レベル。
青森を見たときは、これを一人の人間が計画したとは思えなかった。複雑で、人を迷わせる空間。空間のサイズもまちまちで、ヒエラルキーがない。今まで体験したことのない空間だった。
デザインされた空間と自然に生まれた空間。人工と自然の隙間の建築を達成していたとおもう。
この採掘場も人工だけど、デザインされたものではない。
産業遺産だけど、もはや人の気配はない。その痕跡だけが残る。
ここでは、コンサートやインスタの展示もするらしい。また来たいと思わせる空間だった。

参考:artizan.fromc.jp/cafe/archives/2005/08/vol1.html
    http://tenplusone.inax.co.jp/archives/2006/08/24194306.html

2010年8月29日日曜日

夏期セミナーin日奈久

27,28日は毎年恒例のワークショップ。今年は八代のすぐ近くの小さな温泉街を敷地に九州の都市計画研究室が集い、この街をよくする提案をする。

うちの研究室は山と海が接する、この街の地形を最大限に生かしたダイナミックな景観の変化を最大の魅力ととらえ、山の中腹の温泉神社から、街中の路地を通り、漁港の対岸へと至る長さ500mほどの3つの軸を定義し、この街の開発の軸を生み出そうというものであった。この町には歴史的建造物群が”点在”するものの、街全体で雰囲気を作り出せていない、空き家が目立ち、ハード面ソフト面様々な取り組みがすでにあるものの、それらがバラバラ、単発で効果が出ていない。この街に優先順位をつけることが必要なのだ。そこで、参道をこの街のメインストリートとし、ここだけは空き店舗を作らせないように、街なかに点在する店舗を集中させる。さらに、それによってできた空き店舗や空き家を利用して、逆に、裏通りをつくる。旅館街には足湯を、住宅地には温室や緑地によって緑の帯をつくる。という案。

このワークショップでは、たった一晩で多くのことを学んだ。
議論の仕方。
今議論しているスケールを意識する。そして、大きなスケールから小さなスケールまで話し合う。どうすればこの街がうまくいくのか、ブランディング。その中では新たな建築をつくらないということもあり得る。実際今回も、すでにやりすぎなくらい色々なことをやられていて、新たなハードよりもそれらの整理が必要であるという答えに達した。自分は批判的にものをみれていない。
作業の仕方。
常にゴールの形を考えてつくっていく。今回のプレゼンボードは失敗した。作業には何もしない人、全体を見て、コーディネートしていくひとが必要。
プレゼン。
どこが重要なポイントか。どこが他のグループと違うのかを意識してプレゼンする。ディテールまで詰めていても、細部の話に走らないようにする。ディテールは質問されたら答えるくらいでも良い。

みんなのおかげで、見事最優秀賞をえることができた。しかし、同時に自分の力不足を感じたWSでもあった。みんな本当に問題点を見る目が良い。そして、街のポテンシャルを見極める点も自分には足りない。自分の案に固執して、現実が見えていないのだ。
特に、空間をデザインしきれなかったことは悔しかった。来年は文句もないくらいの案を作りたいと誓った2日間だった。

2010年8月16日月曜日

お盆と都市

久しぶりの日本。お盆は報告も兼ねて祖母の家へ。
一年ぶりに祖母や叔父、いとこたちに会い、無事に帰国したことを報告した。

そこで、営林署につとめていた叔父と話し、いくつか興味深かったこと。
「今の日本では家は建てた瞬間に資産価値がなくなる。」
地価の高い都会ならまだしも、田舎では、地価は下がる一方で、跡に継ぐ者も居ない農家住宅では、売りに出しても買い手がつかず、家が荒れるのを待つのみだというのだ。祖母の家は元は地主で、家は大きく、いい木を使っていて、作りも良い。しかし、こういう場合、相続税が高く、たとえ跡を継ぐ者が居ても、手放さなければならないケースも少なくない。
木造の住宅だとしても、修繕、増築しながらずっと住み続けることができるのに、法制度がそれを難しくさせている。

同じようなことは、前回の鵠沼でも起きている。鵠沼の邸宅が切り売りされた最大の理由は高い相続税であった。

相続税が高い理由は、日本の平等の考え方による。貧富の差をできるだけ小さくするために、親の資産を子へと相続しにくくする。実際、こういう法制度によって、国民総中流という特殊な社会を創出してきたのは確かだろう。
しかし、その経済原則のみによってできた法律が都市にどういう影響を及ぼしてきたのか。
東京に異常な数ある旗竿敷地もその産物で、そうして、世界に類を見ない低層高密都市が生まれたのだ。

政治や経済によって生まれた原則とそれによって生み出された都市。
ほかにもそういう例はないだろうか。そこに日本の都市を読み解く鍵があるかも知れない。

2010年8月15日日曜日

報告会

熊本に帰ってきてから3日、8月4日の報告会のために東京へ行くことに。
この3日はずっと家で寝ていて、何もしていないが、
日本の暑さを実感した。気温も高いが、やはり湿度が高くて、汗が噴き出る。
ヨーロッパの夏は日本より日差しが強く、日向ではじりじりと肌が焼けるようだが、日陰では風が涼しい。
日本は曇っていても暑苦しい。さらに蝉の鳴き声がその暑さを助長する。

東京へは2日に出て、青春18切符を使い、23時間かけて東京へ。
4日に報告会をして、5,6日は神奈川へ。千葉大の子の家にパリ組みんなで泊まる。7,8,9,10は東京見物して、11に京都へ。そして12に熊本へ帰るという全部で10日間の旅行となった。
4日報告会 ラ・ヴィレットでの課題2つとインターンで関わったプロジェクト2を発表した。しかし、他の国のメンバーと見比べてみても、明らかにディテールがない。ディテールがないので現実味がない。建築家になりたいのなら、これは致命的だと思う。

ヨーロッパで見てきた建築。有名建築家によるもの、民家。どれも良いもの、残っているものはディテールへのこだわりがすさまじい。ウィーンのミューラー邸やパリのガラスの家、グラスゴー、ヒルハウスなど。
パリのアパルトマンなどは平気で100年以上経っているが、その時間のなかで何度も改修され、様々な素材が組み合わされ(それぞれ微妙に異なる石のファサード、木の梁)、ディテールの積み重ね(ぴったり面のあう雨戸)によってできている。

しかし、この報告会は後輩に留学がどんなものであったかを伝えるという面が大きく、もっとどんな生活をしたかを報告する必要があったようで、九大で報告する機会があれば、そういうところも報告しなければ。

報告会の後は懇親会。大野先生、菊地先生らと話す。菊地先生との話は都市計画とは誰のためにあるのか。住む人のための都市とはどうあるべきか。日本の農村とヨーロッパの農村の違い。保存することではなく、しっかり現象を読み解くこと。ノスタルジーでは日本は救えない。

5,6日は千葉大の女の子の家へ、そして湘南の海へ。鵠沼のまちに住む彼女はこの町の別荘とその庭園について研究している。この町は元は大邸宅によって占められ、塀とその内部の緑が町並みをつくっていたが、日本の高い相続税のために多くの邸宅は切り売りされ、ミニ開発が集積し、細い迷路のような、ヒエラルキーのない道路と庭園の跡が所々に残る。車では非常に通りにくい細い路地を抜けると、湘南の海へとたどり着く。 波の高い海を泳いで、夕方には江ノ島へ。夜は庭でBBQをして、花火。青春の一ページでした。

2010年7月30日金曜日

その2週間後

今度はついに日本に帰ってきました。

あまりに短かった1年でした。
帰りのシャルルドゴール空港では、これから留学の1年が始まるような気がしました。
でも、もう1年がたったのですね。

26日にパリを出て、北京を経由して一泊し、28の昼に福岡空港に着。
その夜にはそのまま研究室の飲み会に参加して、29の午後にやっと熊本に到着しました。
久しぶりの日本は、暑すぎて、というか湿気が多くて汗が出る出る。
そして早速風邪をひきました。。。。暑さにやられたのか、強行日程のせいか。

福岡で最初に感じたのは、やっぱり日本の女性は、(特に福岡の女性は)美人が多いなということでした。笑
ヨーロッパの女性はスタイルはすごく良いけど、それでも日本人の清楚な、美しさとは違っていて、やはり僕は日本人の方が良いなと。。。。本当に

2010年7月12日月曜日

あと二週間

parisに帰ってきました。
6月中旬(17~21)はイギリスに1週間くらい、
そのあとゲントからきた友達とモンさんミッシェルに行って、
6月26日から31日まで南仏に行き、
7月1日から昨日(11日)まで北欧に行ってきましたーー
旅行のオンパレードでブログを更新する間もなかったですけど、
無事生きています。
今久しぶりにパリで、久しぶりの寮で、いつも通り遅いネットでブログを書いています。
でも、帰国まであと二週間!!!後は何をしようかな。と思案しているところです

2010年6月12日土曜日

フィルミニのメルヴェイユ!!

リヨン二日目はフィルミニに行ってきた。
リヨンから電車で1時間半。駅に着くと、すぐ町の中心に出る。小さな街だ。
この街に近代建築の巨匠ル・コルビュジェの遺作。フィルミニの教会がある。
遺作といっても完成したのは最近で、コルビュジェの存命中は建築が難しすぎて施工できないまま、1階部分だけを完成させて工事が中断していた。それが2005年現代技術を駆使してついに完成したという代物である。
この教会は周囲のランドスケープの盛り上がりと、教会の角の丸い四角形が呼応して、全体としてやわらかい、やさしい感覚を受ける。前日にカラトラバのリヨンサトラス駅を見て感じた緊張感とは全く逆のものである。青い空と打ちっ放しのコンクリートが良く合う。
あまりに気持ちよくて、ずっと外から眺めていたら、
あ、時間がない!!
しかも、チケットは教会内では買えず、まず周辺のコルビュジェの建築群を見ないとこの教会にたどり着けない!!!越境モード(全力疾走をパリ組みではそう呼んでいる)発動。10分で他の建築を走り抜けて、教会へ、20分しかない!!
入り口で受付のお兄さんが博物館から見るように指示。時間が無いよーー。と思っていると。
お兄さん、「あ、でも今なら光があるかもしれないよ。教会のほうから行ってごらん。」
ラッキー時間もないし、一石二鳥だ。入り口脇の階段から協会内部へ。そこで出会ったものは!! ーーーーきれい。
細い光の筋が幾重にも重なって、斜めの屋根の内側に落ちる。静かな堂内を満たす光、周囲の壁にぐるっと回る光の筋、走ってきてれた息遣いがうるさくて、息を止める。ぱたりと止まった時間。
この光は何なのだろう。屋根に開けられたオリオン座をかたどった丸い穴から入ってきているようだが、なぜそんなふうに細長く伸びるのか分からない。穴に取り付けられてサッシュに反射した光か??
なぞは深まるばかりだったが、一瞬にして時間は過ぎ去り、もう電車の時間。せめて光の原因を見つけたかった。でも、しょうがない。
俺「不幸にも、もう行かなければなりません。電車の時間なのです。」
受付のお兄さん「もうですか??分かりました。あなたにプレゼントがあります。」
そう言って、彼は奥の戸棚からコルビジェの解説本を取り出し、僕に手渡す。それは商品として並べられているものだった。
「帰りの電車で読んで下さい。これで、あなたのこの教会への滞在時間が少しでも伸びるでしょう?」
感激!!
教会のデザインも優しいが、受付の人はもっと優しい。感動したまま、僕はリヨンへの帰りの電車に乗り込んだ。思い出に残るリヨン旅行になった。

精神と時の部屋

スタージュが終わってもう2週間!!
何か時間の流れ方が変わって急に時が流れ始めた。

先週は早速、フランス第2の都市リヨンに行ってきた!!
リヨンは食の町としても有名で、ミシュランの3つ星がいくつもあるそう。
でもそんなことはお金のない留学生には関係のない話。。。。。

リヨンはローヌ川とソーヌ川の交わるところにローマ人が殖民都市として作った町。
ローマ時代から残る旧市街と、19世紀の新市街。そして、現代建築が並ぶ新都市地区。この3つが2つの河川によって区切られた明快な構成。旧市街都心市外の北のほうには丘があって、旧市街のフルビエールの丘から町全体を眺めると、時代の異なる町が隣り合っているのが良く分かる。 リヨンはフランスの都市とは違う雰囲気を持っている。イタリアに近いこの街は赤い瓦屋根とパステルカラーの家並みというイタリアの特徴と、ところどころにパリの特徴である装飾的なマンサード屋根の建築が建つ。そしてきれいなグリッド都市である新都市地区には、円筒形の超高層が立ち、最新のトラムが走る。新市街も適度に現代的に使いこなされていて、完全な統一感というよりも生きている街のエネルギーがある。19世紀の建物と現代のスーパーの看板。そのスキマを縫うように走るトロリーバスと丘の街。よく茂った街路樹とサングラスをかけて街を歩く人たち。
3つの街、それぞれの特徴があって、ところどころ交じり合って、それが南に暑い太陽の光の下でおおらかな空気感によって溶け込んでいるように感じた。そして食の街だけあって、街にいたるところにオープンカフェが並び、パステルカラーの建物とあいまって、賑やかで楽しげな雰囲気を醸し出す。この街は自分が想像していたヨーロッパのイメージにすごく近いように感じた。(それは魔女の宅急便で出てきた海の見える丘の町なのかもしれないけど)、古いものと新しいものが交じり合って、生きている街だと感じた。
夜は旧市街のフルビエールの丘に登って、リヨンの町の夜景を眺めた。
車が新市街を駆け抜けて、川沿いをそのヘッドライトで照らしていた。

2010年6月2日水曜日

Stage Fini!!!!

だいぶ更新が遅れてしまったけど。
スタージュが終わりましたーー!!
5月31日で2ヵ月半のインターンは終わりです。
長かった。そしてきつかった。。。。

最後に事務所を出るときは波dふぁが出そうになったぁーー

でも、晴れて自由の身になった今は、もうこれからの旅行のことで頭がいっぱいです。
あと留学も二ヶ月。その間にしなくちゃならないことがいっぱいある。
パリについてもぜんぜんまだ知らない。
北欧にも行きたいし、南仏にも行きたい。
フランス語は退化した。

この2ヶ月は楽しみだーーー。

2010年5月21日金曜日

リベンジオランダ

そういえばもう一度オランダに行ってきた。
前回はアムステルダムとデルフト、ロッテルダムを回ったので、
今回はどうしても行きたかったユトレヒトに行ってきた。

一日目はユトレヒトよりさらに内陸のクレーラーミューラー美術館へ
国立公園の中の森になかにひっそりとたたずむ砂漠!!!!!オランダには砂漠があるんです!!
国立公園の中を無料の自転車で走りまくると、砂漠を発見!


ユトレヒトは900年前に出来た運河沿いの荷おろしスペースを現代では絶好の親水空間として使い、数多くのオープンカフェが並ぶ。



これはユトレヒトだけではなくオランダ全体で感じたことだが、オランダはオープンスペースの取り方がすばらしい。計画的に作られた土地は今も国が所有していて、道沿いには余裕のある自転車道と街路樹、歩道。建物のボリュームも計画されていて、特にアムスのKLSM島は、建築単体のデザインは別として、ボリューム感はすごく気持ちが良かった。アムスの街などは国の管理下におかれていて、勝手にエレヴェーターを設置しに来たり、勝手に庭の剪定に来たりするらしい。
麻薬や売春など規制のゆるい国なのかと思っていたが、すごく政府の力が強い国なのだろう。飾り窓の売春だって、エイズなどの感染症を予防するために登録制にして、国が管理している。そう聞くと納得できる。
ユトレヒトにて。ミッフィーを見てる子供たち。超真剣。

2010年5月17日月曜日

アミアンVSボーヴェVS自分

今週は水曜が祝日だったので、アミアンに行ってきた。
そして今日、日曜を利用してボーヴェに行ってきた。
どちらもパリ北部の町で、有名なゴシックの大聖堂がある。 どちらも電車で1時間ちょい。

朝の駅。差し込む朝の光と、ざわめきが好きだ。

結果は、大聖堂はアミアンのほうが好きだったけど、街はボーヴェのほうが良かった。
アミアンの大聖堂
アミアンの大聖堂は、ステンドグラスが壊れたため、白く明るい堂内になっていて、特に内陣の部分は真っ白い石と明るい光で神々しい。

こっちはボーヴェ。
ボーヴェもゴシック最大の教会を目指して建設されたが、身廊部分が未完のまま、内陣と交差部のみ残る教会。フランス一の高さを誇るだけあって、クリアストーリーがとてつもなく大きい、ファサードには白い石を使っているし、こちらも非常に明るい。ただ、身廊がないので、引きが取れず、少し息苦しい。これで身廊が完成していたら、モンスター教会になっただろう。

でも、街はアミアンは廃れていて、というか、駅前の作り方がまずい。ペレの巨大な塔が立ち、ガラスの大屋根がかかっているが、そのだだっ広い広場はスケボー少年に占領されている。斜面になっている広場の先は駅につながっているが、暗く、緑もない。そもそも駅が汚くて、大いに改善してほしい。やはり町の顔となる部分は重要だ。 駅前を占領するスケボー少年たち、ではなく、旧市街全体を使ってのローラースケート大会の少年少女。一人だけ重装備がいる。。。 重装備くん。最後はヘロヘロ。そりゃ動きにくいわ。


それに対し、ボーヴェは、晴れていたというのもあるだろうが、古い駅舎、駅前にいきなり公園が広がり、落ち着いた雰囲気、巨大な教会とは不釣合いな小さな街で、運河沿いには緑地が整備されている。 中心部には日曜で市場が立ち、街の規模は小さいながら賑わっている。
ここが駅から徒歩五分!!!

ただ、どちらも住宅にペレの影響が見られた。アミアンはペレのオリジナルだろうが、ボーヴェはどうだろうか、戦後に再建された街はどれもペレの影響を受けているのだろうか。そうだとしたら、コルビュジェよりも直接的に影響を及ぼしたのはペレのほうかもしれない。ただ、ペレのデザインは迷いがないというか、工夫もないというか、とても単調なコピーペーストで、それで埋め尽くされると少し不気味になる。アミアンのペレ塔がそうだった。
ルアーブルはまだボリューム操作が出来ていて面白い部分もあったが、同じものが並ぶと少々きつい。ただ、今日見たボーヴェでは、全く同じデザインでも、経過年数が違うのか、材料が違うのか、汚れ方が家々で少しずつ違っていて、単調さを回避している部分もあった。

花。

今はみんな旅行に出かけていて、寮には二人しか残っていない。
でも、俺は仕事が遅くまであるから、実質一日中一人で動いている。

昨日の帰り、事務所を出て、近くに住んでいるおじさんに微笑みかけようとしたら、顔の筋肉が動かないことに気付いた。一日中、一言もしゃべらず(仕事上必要なことを二、三しゃべっただけ)、怒りも、楽しみもない。完全に心を閉ざしている状態だ。

思えばプロジェのときもそうだった。学校にいるけど、音楽を聴いて、「話しかけないで」オーラを出して、自分ひとりでいらいらする。パリに来て心の閉ざし方を覚えてしまったらしい。なにやってんだろ。

2010年5月16日日曜日

三連休!!!

先週末はスタージュ始まって以来の三連休!!(これが後から大変な事態を招くことになるのだが、)
今回は大して旅行もせずに、パリでゆっくり過ごしました。

8日(土) 芳川さんという経済産業省から現在IR(国際エネルギー機構?間違ってたらごめんなさい)に勤めてらっしゃる方とお昼をご一緒させていただいた。
「この間、サミットでさー・・。」
えええ-!!「サミットが日常」の方の貴重な話で、話し方も上手く、3時間ぐらい話し込んでしまった。
日本の若者はもっと貪欲にいかなければならない。海外へ出なければならないとのこと。国と国の交渉の先頭を切って進んでおられる方で、先進国の建前も、本音も知っている。とても感じの良い方だった。

そのあと、ベルシー再開発地区の冷凍貯蔵庫のリノベーション「フリゴ」を見る。
落書きだらけで、とてもリノベだとはいえないけど、周囲の新しいビルとここだけ空気感が違っていて、ブラックホールのようなところ。

9日(日)の夜は「PINK FETE」なるパーティーをAUSMIP組で主催し、寮のカフェテリアを貸しきって、ピンク色のパーティーをした。友達が勝手に俺の写真をアップしたので、参考までにhttp://d.hatena.ne.jp/ryo14da/20100508
久々のパーティーで楽しかった。このパーティーの準備をしているときから、町中のピンクが気になるようになった。

10日(月)
午前中一人でシナゴーグ巡り。なかなか入れてもらえず。唯一入ったのは、本棚と机があるだけの 15畳ほどの公民館のようなところ、「ここがシナゴーグか」と聞くと「そうだ」という。シナゴーグには形式がないと思っていたが、こんなところでもいいのか。カトリック教会のようだったり、モスクだったり、壁だったり、彼らには祈りの場の形式というのは重要ではないのかも。余計に面白くなってきた。

午後はユネスコの庭園ツアー。二ヶ月前から予約しないとは入れない貴重なもの。。ユネスコの庭は日本だらけで、イサムノグチの日本庭園、安藤忠雄の瞑想庭園、長崎の教会のかけら、ヒロシマの石。それらの庭をY 字型のボリュームが分節している。2008年のSDレビューの案と近いものを感じる。庭のための建築。

楽しい週末だった。最近、充実したプライベートと、充実しない仕事のギャップがすごくて、仕事のモチベーションが上がらない。5月いっぱいの予定だったが、今している仕事が片付いたら、やめさせてもらうことにした。。

2010年5月8日土曜日

おらんだ

さらに今度はオランダに行ってきた。
平日が事務所に引きこもりっきりなだけに、週末ぐらいはどこかへ出かけたいしね。
だって、ヨーロッパ圏内なら海外旅行も片道3000円くらいでいけてしまう。

ということで、1泊4日のオランダ旅行へ。
金曜仕事が終わって、夜行バスでアムステルダムへ。
朝の6時にアムスへ着き、早速観光する。

オランダはOMAやMVRDVを生んだ、現代建築の聖地みたいなところ。
まっ平らな干拓地の上に、突然高層ビルや奇形建築が立ち並ぶ。
ただ、この自由な建築スタイルは今に始まったことではないらしい。
というのも、アムスの中心部のギルドハウスのような町並み(17,8世紀?)も、それぞれが結構自由なファサード、高さをしていて、パリの様な単調さは無く、一軒一軒が自己主張している。さらに、これらは間口が小さすぎて、家具を入れる十分な通路が取れないので、ファサードが前へ傾いて、棟に取り付けたクレーンで荷物を運び入れるのだそう。しかし、それだけではなく、地盤が弱いためだろう、それぞれの家が右へ左へ傾いている。これが本当のダンシングビルだ。

オランダに文化庁派遣研修員としてきている大野さんと一緒に回ったが、オランダは地形がないぶん、建築やランドスケープで街の魅力を作り出していかなくてはならない。ゼロから作るということを強く意識している。そういう意味では地形にも恵まれ、歴史もある日本の都市はポテンシャルがあると思うんだけどなあ。

オランダで一番良かったのは、アルド・ファン・アイクの教会だった。
10分だけしか見れなかったが、コンクリートブロックで出来た教会は、目地もきれいにそろい、美しく仕上げられている。壁に窓はひとつもなく。全て天窓からスポットライトのように光が降り注ぐ。短い間だけ幻想の世界に行っていたような、時間の流れが止まったような気がした。

ル・ランシーのようなにぎやかな光とは逆の、モノクロの世界。

2010年4月30日金曜日

世界の終わりと始まりの日の物語。

そのとき僕はただドアの前に立ち尽くしていた。
ベルを鳴らす右手が動かない。左手の荷物が急に重く感じられ、どんなてこでも動かないような気がした。

その日は世界の終わりと始まりが同時に来た日だった。
そこが世界の淵だったのかもしれない。
僕は淵の上を、平均台を渡るようにして歩いていた。

それでも自然に時は過ぎた。そして夜になった。
でも、世界の終わりは来なかった。僕はそれが来ることを十分覚悟していたし、むしろ少しそれを望んでいたのかもしれない。それでも世界は終わらなかった。世界の終わりは一人の少女によって回避され、代わりに始まりがやってきた。
そこには悲しみも喜びもなくて、あるのはただ安堵だけだった。

次の朝、終わるはずだった世界はまだ続いていた。僕は窓から身を乗り出して、世界の香りをかいだ。その空は、始まりの朝にふさわしく、低く雲が垂れ込めていた。青空は世界の終わりにこそふさわしい。

世界の終わりと始まりの日の物語。

2010年4月28日水曜日

ロンシャン旅行

遅くなったが、ロンシャン旅行の続き。

夜中の3時までホテルでネットしてからその次の日。
朝から、一路東へ。

Rongchampという小さな町の丘の上にその町の全てを見下ろすように20世紀最高の建築家の教会が建つ。森を抜け、丘の上へ続く階段を登ると巨大な白い塊が見えてくる。屋根のでかさだろうか、思っていたより大きい。白いけど、近くによるとデロデロしたテクスチャに気付く(このテクスチャは内部でさらに良く効果を発揮していた)。表面に小さな影を浮かべ、大きいけど重たくない。屋根の下の横長のスリットがあるからだろう。これはスカルパのブリオン墓地でもとられていた技法に近い。スリットがあるとないとでは受ける感覚は大きく違う。内部は思ったより小さい。外とはイメージが違う。曲面の壁をなでるように進むと自然にサイドチャペルに入り込む。そこには外と同じテクスチャの壁がある。壁には下から電球のオレンジ色の光が、上からは日光の間接光が落ちてくる。それがあのデロデロしたテクスチャの上で交じり合って、オレンジと青白い光のグラデーションを作る。とてもきれい。 壁の厚さも良い。ここにも(フォントネーにもついていた)テーパーがつけられていて、窓に住める。。。 そしてなんといっても、ドアが良かった。大きな回転扉はゆっくりと音も無く閉まる。そのとき徐々に外の音、風のそよぎ、鳥のさえずり、草花のすれあう音。徐々にそれらが絞られていって、最後にぱったりと聞こえなくなる。外から聞くとその逆。すこしづつ堂内の音は聞こえなくなって、鳥たちの声がだんだんと大きくなる。内部と外部のグラデーション。0と1じゃなく、0と1の間にある無限。引き戸ではなくドアにも0と1の間があることを実感。
教会の門(扉)は良い。何でだろう。その大きさかな。大きな扉は開き方が劇的だし、閉まると二度と開きそうにない。開けると本当に魂みたいなものが出て行ってしまいそうな気がする。だから、その扉はほとんどあけられることはない。
あと、扉には開くためのスペースが必要で、その何にもものを放置できない軌跡がそのドアの場所となって、室内空間を拡張させるような気がしている。ヨーロッパのドアや窓は内開きだし、(教会は外開きだ。)内側に開いた窓やドアに囲まれた場所は出窓や縁側のようになる。そのことを事務所の窓を見ながら一日考えていた。

話がそれたが、旅行の続き。午前中ロンシャンの教会を堪能し、丘の上でご飯を食べ、今日も楽園を感じつつ、午後はスイスのローザンヌまで。またもや途中から運転し、着いたのは5時を過ぎていた。まあ、今は9時までも明るいからまだ観光できるけど。そこにあるのは今年のプリツカー賞(建築家のノーベル賞?)SANAAのラーニングセンターだ。 これがまたすごく良かった。公園みたいな建築。丘みたいな建築とはこのことだ。
床が斜面になっているだけで、こんなにも人がくつろぐ場所が出来るのか。みんな自分で居心地のいい場所を見つけ、そこにクッションを持っていって、ねっころがって本を読む。天井や柱が白くて、その粉が空気中にも満たされていて、空気全体が白っぽく、霧がかかったような、幻想のような空気が漂う一室空間。光に満たされた内部は空気の流れこそないが、完全に公園。人の動き方が普通の建築じゃない。これはほんとにすごいと思った。 そして、帰る前に目の前のレマン湖によって。ゆっくり夕日を眺めて、水切をして。湖畔には家族連れや恋人や、BBQパーティー、ランニングする人。この町のみんながこの湖畔でくつろぐんだろう。きれいな夕日だった。


この週末のなんて充実したことか。とにかく「丘」を満喫した週末だった。それが自然な丘だろうと人工だろうと、丘は人の警戒を解く。人の本当の姿に戻ってしまうような気がする。春と丘の組み合わせはルール違反だ。