2010年3月23日火曜日
イタリア旅行その2 バロック都市
それは、ローマがバロック都市であることなんだ。
バロック都市の代表といえば、我らがパリなんだけど、ローマとパリは同じバロック都市としては括ることが出来ないほどに違っている。
パリは19世紀、ナポレオン3世の時代に大改造をして、全ての町並みを統一し、全てのモニュメントを直線道路で結んで、多くのアイストップと名所を作り出した。
それに対し、ローマも法王シクストゥス5世(?)のときに市内の各名所を結んで、広場を作り、そこにオベリスクを建てて、アイストップとしたんだ。
でも、まず決定的に違ったのは地形だ。パリは平坦で、唯一の丘モンマルトルがアクセントになっている平らな都市。しかしローマは七つの丘とティベレ川で出来た街。道は地形に合わせてうねり、パリのようなヴィスタはなかなか得られない。さらに、数多くあるローマ遺跡も道を直線に通せなかった理由かもしれない。たしかに、サンピエトロ大聖堂前の巨大道路など、バロック的な大改造も行われたが、それは全体にまでは広がりきれず、局所的なルールにとどまっている。パラッツォ・マッシモやS.M.デラ・パーチェなどはその代表例で、周囲の文脈を読み解き、局所的な回答を生み出すことで、都市の中に小さな劇場的空間を生み出し、それが街のいたるところにあって、旧市街の曲線道路や古代遺跡とあいまって大きなひとつの混沌を作り出している。それがローマなんだ。だから、整然と並んだ「美」の象徴のパリとは似ても似つかないものだと思う。
そもそも、バロックがこの街で生まれたのは当然なのかもしれない。バロックは不完全なもの、何かの欠如によって、他を想起させ、それを補うことによって完全となる。楕円形や壁のへこみ(サンタニェーゼのような)の持つこれらの特徴はローマ遺跡とぴたりと一致するものなんだ。マクセンティウス帝のバジリカは巨大な教会を想起させるけど、あれは壊れていたほうが良いようにも思えたんだ。全て完全な状態だったとしたら、それはただでかいだけの空間だったかもしれない。でも、そこが失われた今となっては、見るものの想像によって補わなければならない。そこに建築が建築だけで完結せずに、他者、見るもの、空間を体験する者を必要としたんじゃないかと思うんだ。そのとき初めて、完全な幾何学を求めるルネサンスから脱した新たな幾何学、そして、都市(他者)へと開かれた建築が生まれたんだ。それがこの街なんだ。
バロックの建築家が愛した楕円。宇宙の原理そのものである楕円は、円よりも自在に形を変え、既存の都市に自在に挿入することが出来る。それも歴史が折り重なって飽和したローマならではの解決法だったんだろう。
イタリア旅行 その1 ローマ
初日はローマ
その前日にまずはパリからブリュッセルに行って、友達と合流してからローマに行ったんだけど、
ローマは空港についていきなり感動した。暖かい、温度計を見ると21度もあった。日差しが強くてみんなサングラスしてるし、日向ぼっこして、本を読んでいる。前日のベルギーは震えるほど寒かったのに、この気温差は同じヨーロッパとは思えない。
ローマがなんといっても面白いのはローマ時代の遺跡だ。
ローマの町にはいたるところに遺跡があって、車ががんがん通る幹線道路の脇に石柱が転がっていたりする。。時には遺跡を取り込んだ教会や、古い遺跡を再利用した美術館もあって、遺跡と暮らす街というのは本当だったし、それが首都だというのがすごい国だ。
遺跡で特に面白かったのは、ハドリアヌス帝のヴィラとトラヤヌス帝のマーケットかな。あとはカラカラ帝の浴場跡も巨大なマッスが立ち上がって、不思議と高く成長した松と共鳴して原始の世界を作っていて、かっこよかった。
ハドリアヌス帝のヴィラはローマからバスで1時間以上のティボリという街の近くにある(この街も山の急斜面に不法占拠したような少し暗い町が張り付いていて、ぜひ次は行ってみたい街)。ハドリアヌスのヴィラはゆっくり時間を取って、丸一日でも散策したい。でも、ヴィラのバス停に着いたとき、すでに僕たちには30分しか残されていなかった。だから走った。森の中を、坂道を走った。そると大きな壁が見えてきた。それをくぐると森の中に突然幾何学的な池が、その向こうには森の木々の隙間からレンガを積み上げた古代遺跡がにょきにょき生えている。壊れかけた遺跡を彷徨い歩くと、円形の池が、その真ん中には壊れた列柱、走って切れる息とは裏腹に、静かな時間。とまった空気。鳥のさえずりと木々の風に揺れる音が、ここに古代ひとつの都市とも呼べるほどの別荘があったことの歴然とした差を生み出していて、人はそのズレにロマンを感じるんだろう。ただ、授業で習った軸とその方向転換となる円形の平面の関係はイマイチ分からなかった。さらに、エジプトの思い出、カノープスの庭にも行けなかった。もう一度行きたい場所。
トラヤヌスのマーケットもすごく良かった。これは僕が建築学科に入るときに初めて買った「建築」という小さな本にアクソメが載っていて、それが好きで、良くその本を眺めていた建物。僕の建築の原点のひとつ。でも、その期待にこの建物は十分応えてくれた。
アーチが連続し、向きを変えながら、時々階段が入り込んだり、行き止まりだったり、立体的な交差と、上階の大アーケード、突如として現れる吹き抜けや、階段によって人の感覚は狂い、惑う。アーチとドーム、ヴォールトを多用して、組み合わせ、空間を複雑に、そして自在につなげていく。泡立つように連続する空間。ローマ独特の空間構成だ。
シャルトルの大きな息吹
この日も少し曇っていたけど、暖かくて、午後には日が差して、パリはすっかり春になったみたいだ。
シャルトルは電車で一時間ぐらいのパリの南の小さな町。でもこの街には日本人の観光客がツアーで大量にやってくる。そのお目当ては、ゴシック最盛期の傑作シャルトルの大聖堂だ。
この教会はステンドグラスが中世から残っていて、青いステンドグラスから差し込む光は美しい。
でも、パリのノートルダムを見慣れている僕からすれば、あまり違わないなという印象。というかとても似ていた。むしろ、暗い堂内で、古いステンドグラスはあまり光を通していない。
それよりも教会の裏から下っていく坂道、その底にある運河、木々を通して差し込む木漏れ日。ベルギーのブルージュを思い出した。でも、ブルージュは寒すぎて、吹雪いていたっけ。でも、今は春。なんて気持ちいいんだろう。そのまま、反対側の丘に登って、丘の上の墓地からシャルトルの大聖堂を見ると、墓地の墓石とその途中にある四角錐や円錐に刈り込まれた植物と、向こうの丘の家並みとがつながって、その先に突然巨大な大聖堂が浮かび上がっていて、墓地と都市との相似性、そして、都市の中での教会の突出した巨大さ。全てがひとつの視線の中に納まっている圧巻の眺めだった。
墓地は墓地で、幾何学的な植物と整然と並んだ墓標。僕は幾何学に囲まれるとすごく不思議な気分になるんだ。自然の世界とは全く違うルールで作られたもうひとつの世界。暖かい光を浴びた木々、その隙間から時折見える、ゆっくりとした歩みで墓参りをする老人。キリコの絵のようでいて、あんな不気味さはない。だから、ガララテーゼとも違う。天気のせいなのか。世界の終わりとも違う、でも日常でもない世界。
帰りに近くの教会によった。小さな教会。でも、中は緑の壁画で塗られ、ぐるっと並んだ透明なハイサイドライトから光が差し込んで、明るい明るい堂内。木の梁がむき出しになったヴォールト天井にも無数の装飾がなされ、光に満たされて、人知れず輝いていた静かな教会。
そして、最後に大聖堂にも寄ってみたんだ。
すると、午後の日差しがファサードのステンドグラスとバラ窓から入ってくる。雲間から太陽がのぞくと、急に堂内が明るくなって、生き物の呼吸のように、強くなったり弱くなったりしながら、青い光はそれまでのくすんだ、深い青ではなくて、眩しいほどの抜けるような青になって、目の中に飛び込んで来るんだ。中世の人も青い光が最も人を魅了すると分かっていたのだろう。だからシャンゼリゼのライトアップも人をひきつけるんじゃないかな。もう一人の東大せーが言っていた凍りつくような青とは違うけど、それはまさに「生きた青」だったんだ。
ちなみに帰ってから2年生の女の子たちを案内して、旧国立図書館やパッサージュをめぐってきた。結構ミスエスコートだったけど、、、。
ラブルーストの鉄の使い方と、鉄とガラスによって可能となったパッサージュ、しかしその結果、悪くなった衛生環境を改善するためのパリ大改造。その象徴としてのエッフェル塔。人tに説明すると今までつながらなかったころとが、不意につながったリする。
アアルト!!
土曜日も僕のスタージュ先は仕事があるから、午前中で抜けて、所長に嫌味を言われながら、電車に揺られ、バスに揺られて、パリを抜け、街をいくつか越えて、バス停から、牧場を横目に、かやぶき屋根の家の裏を抜け、森の中にその家はあった。
ビリジアン色の木々と黄緑色の芝生に囲まれて、白く塗りつくされたレンガの家。窓のサッシュやルーバー、柱の周りにも木が使われていて、黄土色や栗色の様々な木の色が白い壁によく合う。
みんなはこの白い壁の感じと木の使い方が日本的だと言っていたけど、ここでは僕には良く分からなかった。木の扉を開けると大きなホールがあり、アアルト独特の局面の天井が明るい空間を作り出していて、その天井の流れ落ちる先の、一段下がったところに西日の差すリビングがある。
大きなガラス窓は木のサッシュに縁取られ、窓辺に置かれた植物には低く垂れた黄金色の照明が光を注いでいる。リビングに置かれた大きなテーブルにはアアルトの花瓶が置かれ、花がさしてある。大きな窓の向こうには、部屋の中の勾配でそのまま丘が下って、向こうのほうで針葉樹の森に当たる。薄く広がった雲の向こうから差す光は、フランスの太陽というよりも北欧のそれと近いような気がした。
この家にはもうひとつ西向きの部屋があって、食堂がそうだ。夕方にしか帰ってこない主人のために、夕日が差し込むときに最も美しくなるように設計された部屋。大きな窓と、反対側にはクロムメッキのような鈍く黒光りする曲面を持つアートが三つ並べられていて、窓から入る光もろとも部屋の風景をゆがめて映しこんでいた。
大きな窓から差し込む光が本当にやさしくて、これは曇っていたからなのかもしれないが、窓辺にずっと座って本を読んでいたら本当に幸せだろうと思う。
大きな窓と観葉植物の組み合わせはどうやっても気持ちが良くなる。西沢立衛にしても、ラカトンのmulhouseにしても、このアアルトにしても、それをせこいという人もいるけど、気持ちいいのだから、しょうがない。でも、ラカトンにしても西沢立衛にしても、住みやすいのかといわれるとそうではなさそうで、アアルトのカレ邸も雨が暖炉に入ってきて大変だといっていたけど、北欧だからこそ出来る大きな窓なのかもしれないとは感じた。その点ではmulhouseもスイスに近くて冬は寒い。だからこそ、あのビニールハウスで冬を越せるのか心配だけど、冬が厳しい分、光に対する欲求が強いんじゃないかな。
それはフランスでも感じることで、最近は春になって、日曜の午後にでも晴れようものなら、こぞって公園に繰り出し、サンドイッチを食べ、子供とボール遊びをしている家族連れが公園を埋め尽くしている。本当に幸せそうな姿。大人も子供もこの春の日差しをいっぱいに浴びて、この世の楽園のような気さえするんだ。中国の公園が夜中に人であふれているのとは対極的で、逆にこっちの公園は夜になると門に鍵がかかって入れなくなる。あれ、中国でもそうかな。
家が南向きであることにはそれほどこだわらないのに、だからこそ?、公園に出て、みんなの場所で春の日差しを楽しむのがパリジャンの過ごし方なんじゃないかな。
2010年3月20日土曜日
パリの中心、セーヌのサンルイ島の小さなオフィスで、今は所員が一人もいない!!
だから逆に仕事をたくさん任せてもらえそう。
無給なのはいたいけど、まあ頑張ってみよう。
しかし昨日は暖かかった。最高21度だそうだ。今週から急にパリは春になった気がする。
でもいきなり風邪を引いた。暖かいはずなのに、やけに寒気がすると思ったら、、、
パリに来て体が弱くなったな。。運動不足かな。。
そんなこんなで、そして、今日から本格的なスタージュ開始。
朝7時に起きて、メールチェックして、9時には事務所へ。
この生活が毎日続きそうです。
留学して久しぶりに規則正しく、時間に終われる生活かな。。。
楽しみ半分、不安半分です。
2010年3月19日金曜日
サン・ドニ
ここサンドニ市は、パリの北にあり、南高北低のパリにあっては貧しいい人たちや移民が多く暮らす地域なんだ。
僕が行ったのは日曜の午後だったんだけど、そのときは街中がゴミであふれていて、、
というのも、日曜日の午後に商店がゴミを通りに出しておいて、市の清掃会社が全て回収していくらしいんだ。大胆なゴミ収集。
駅の近くのスタジアムの近くの高速脇にはスラムが出来ていたし、街中をゲンチャでウィリーする少年がいたり、物騒といえば物騒だけど、でもカテドラルから伸びるメインストリートには人があふれていて、みんな道行く人に挨拶したりしている。パリ市のすぐ隣だとは思えなかった。
2010年3月17日水曜日
久々のパリ
ムニエのチョコレート工場に行ってきた。
フランス初のカーテンウォールによる工場は鳥かご構造で、細い材を斜め材として、柱間をセラミックのタイルで覆うというものだった。
さらにムニエ社の作った労働者住宅が今も残っていて、整然と並んだ二戸一の低層住宅が、一軒ごとに色やテクスチャを変えていて、小奇麗な住宅地だった。
このあたりは駅からムニエ社の緑地まで巨大な軸線が通っていたり、広場があって、レストランや市庁舎跡が並んだりと、ムニエ社の手によるのだろうか、しっかりと整備されていて、街もきれいだ。駅前にはさすがに黒人のヤンキーたちがたむろしていたが、奇抜なデザインも無く、いい感じだ。
というのも、そのあと、Noisy-le-Grandという二つ隣の街に行ったんだけど、ここが結構怖くて、、、
駅はショッピングモールになっていて、屋内空間は綺麗だし、すごく人で賑わっていたんだ。でも、一歩外に出ると、ゴミがドアの前に積み上げられ、鳩がたかっているし。。
駅周辺はパリ市の拡大にあわせて、市が整備した(計画名忘れたー)集合住宅、日本の団地みたいに一挙に作られた地区で、ポストモダニズムの建築家がデザインした奇怪な高層住宅が並んでいる。そこには、古典の引用によるデザインがされているのだけど、中庭は人気が無く、死角も多くて、昼間でも怖かったんだ。集合住宅、特に郊外においてはコモンという場所は危険な場所になりやすいのかもしれない。だから、坂本一成はコモンは要らないといっているのかな。
(3/20追記 でもこれを逆手に取ったのがミラノのガララテーゼかもしれない。人気のない不気味さを突き詰めた不思議な空間。)2010年3月12日金曜日
イタリア旅行 結果報告
たくさんの建築や遺跡を見た。だけどこの旅行をしっかり消化しないといけない。そうしないとただの観光になってしまう。
ということで、まずは旅行のログを。
3月1日(月) ベルギーへ
3月2日(火) ローマ到着
◎S.カルロ・アッレ・クアトロ・フォンターネ(ボッロミーニ)
S.M.アル・クイリナーレ(ベルニーニ)
◎トラヤヌス帝の市場
ディオクレティアヌス帝の浴場跡
ホテルで飲み
3月3日(水) ローマ二日目
S.ピエトロ大聖堂(ミケランジェロ他)
バチカン博物館
◎S.M.デラ・パーチェ(コルトーナ)
サンタニェーゼ(ボッロミーニ他)
パラッツォ・マッシモ
S.ティーヴォ・アッラ・サピエンツァ(ボッロミーニ)
パンテオン
◎テンピエット
ティベレ川
〇トレビの泉
スペイン階段
◎ナヴォーナ広場
夕食ピザ、ティラミス
3月4日(木) ローマ最終日
コロッセオ
フォロ・ロマーノ
カラカラ帝の浴場跡
◎サンタ・コスタンツァ
◎ハドリアヌス帝のヴィラ
カンピドリオ広場(ミケランジェロ)
トラヤヌス帝のフォロ
テベレ川
夕食大衆食堂ピザ
3月5日(金) フィレンツェ
S.M.ノヴェッラ(ヴィニョーラ)
S.M.デル・フィオーレ(ブルネレスキ他)
S.ロレンツォ
メディチ家礼拝堂
洗礼堂
ウフィッツィ美術館
◎ヴェッキオ橋
S.クローチェ
パッツィ家礼拝堂
ミケランジェロ広場
〇S.ミニアート・アル・モンテ(?)
夕食パスタ
3月6日(土) トスカーナ地方の村巡り
◎サンジミニャーノ
◎シエナ
◎カンポ広場
◎マンジャの塔
◎ドゥオモ
◎ラヴェンナへ
3月7日(日) ラヴェンナとトレヴィソ
◎サン・ヴィターレ
サンタ・ポリナーレ・ヌーヴォ
◎ブリオン・ヴェガ墓地
ヴェネツィアへ
3月8日(月) ヴェネツィア
美術館(スカルパ)
サンマルコ広場
鐘楼
サンマルコ寺院
◎S.ジョルジョ・マッジョーレ(パッラーディオ)
◎イル・レデントーレ(パッラーディオ)
◎運河一周
S.M.デラ・サルーテ(ロンゲーナ)
パラッツォ・ヴェンドラミン・カレルギ
ヴェネツィア大学(スカルパ、ロッシ)
S.M.デラ・サルーテ(ロンゲーナ)
◎海沿いで夕日を見る
夕食自炊パスタ
3月9日(火) ヴィチェンツァ、ヴェローナ
・ヴィチェンツァ
バジリカ(パッラーディオ)
その他のパッラーディオ建築
◎ヴィラ・ロトンダ(パッラーディオ)
〇テアトロ・オリンピコ(スカモッツィ)
◎ヴァルマラーナ家礼拝堂(パッラーディオ)
・ヴェローナ。。。
〇サン・ゼーノ修道院
◎アレーナ
◎カステル・ヴェッキオ
夕食ピザ
ミラノへ
3月10日(水) ミラノ
◎ドゥオモ
〇ガレリア
スカラ座
最後の晩餐
◎その教会(ブラマンテ)
サンタンブロージョ
スカラ座
ドゥオモ(地下、内陣)
サンサティロ(ブラマンテ)
● ガララテーゼ
ダヴィンチ博物館
◎サンサティロ
新フィエラ会場。。(フクサス)
夕食オオクツさんらと飲み会
3月11日 ミラノ二日目、コモ、帰宅
ドゥオモ(屋上)
ルスティチ(テラーニ他)
公園
◎カサ・デル・ファッショ
その他のテラーニ建築
戦没者慰霊碑(テラーニ)
ノヴォコムン
◎サンテリア幼稚園
集住2つ
ミラノマルペンサ空港からパリCDG空港へ
と、まあテンコ盛りな感じです。時間を見つけてひとつひとつ書いていけたらいいかな。
2010年3月8日月曜日
2010年3月1日月曜日
イタリア旅行 サンジミニャーノ
この村は中世のマンハッタンと呼ばれる村で、神聖ローマ皇帝とバチカンのローマ教皇の権力争いの影響で、村の貴族たちが競って塔を建てあったため、人口数千程度の小さな村に最盛期は90本の塔が立ち並んでいたという村。
フィレンツェから遠く離れた丘と農地が広がる一帯で、小高い丘の斜面に沿って並ぶ住宅と頂上付近の石の塔がつくる驚異の景観が圧巻である。
現在でも、14本の塔が残っており、塔の屋上には小さな小さなテラスがある。塔と塔の距離が近く、隣の塔の屋上で休む隣人に挨拶ができそうである。
日本に帰ってから気づいたことだが、この村の景観と日本の都市の景観に類似点があるということだ。日本では2階建ての低層住宅地のなかに十数階建てのマンションが等間隔に建ち、地上の距離感と空中の距離感、屋根の上の新たなグラウンドレベルを生み出していることがある。
そういう目で見ると、だらだらと続く日本の郊外の景観もおもしろく見えてくる。