でも、ローマが面白いのはローマ遺跡があるからだけじゃないんだ。
それは、ローマがバロック都市であることなんだ。
バロック都市の代表といえば、我らがパリなんだけど、ローマとパリは同じバロック都市としては括ることが出来ないほどに違っている。
パリは19世紀、ナポレオン3世の時代に大改造をして、全ての町並みを統一し、全てのモニュメントを直線道路で結んで、多くのアイストップと名所を作り出した。
それに対し、ローマも法王シクストゥス5世(?)のときに市内の各名所を結んで、広場を作り、そこにオベリスクを建てて、アイストップとしたんだ。
でも、まず決定的に違ったのは地形だ。パリは平坦で、唯一の丘モンマルトルがアクセントになっている平らな都市。しかしローマは七つの丘とティベレ川で出来た街。道は地形に合わせてうねり、パリのようなヴィスタはなかなか得られない。さらに、数多くあるローマ遺跡も道を直線に通せなかった理由かもしれない。たしかに、サンピエトロ大聖堂前の巨大道路など、バロック的な大改造も行われたが、それは全体にまでは広がりきれず、局所的なルールにとどまっている。パラッツォ・マッシモやS.M.デラ・パーチェなどはその代表例で、周囲の文脈を読み解き、局所的な回答を生み出すことで、都市の中に小さな劇場的空間を生み出し、それが街のいたるところにあって、旧市街の曲線道路や古代遺跡とあいまって大きなひとつの混沌を作り出している。それがローマなんだ。だから、整然と並んだ「美」の象徴のパリとは似ても似つかないものだと思う。
そもそも、バロックがこの街で生まれたのは当然なのかもしれない。バロックは不完全なもの、何かの欠如によって、他を想起させ、それを補うことによって完全となる。楕円形や壁のへこみ(サンタニェーゼのような)の持つこれらの特徴はローマ遺跡とぴたりと一致するものなんだ。マクセンティウス帝のバジリカは巨大な教会を想起させるけど、あれは壊れていたほうが良いようにも思えたんだ。全て完全な状態だったとしたら、それはただでかいだけの空間だったかもしれない。でも、そこが失われた今となっては、見るものの想像によって補わなければならない。そこに建築が建築だけで完結せずに、他者、見るもの、空間を体験する者を必要としたんじゃないかと思うんだ。そのとき初めて、完全な幾何学を求めるルネサンスから脱した新たな幾何学、そして、都市(他者)へと開かれた建築が生まれたんだ。それがこの街なんだ。
バロックの建築家が愛した楕円。宇宙の原理そのものである楕円は、円よりも自在に形を変え、既存の都市に自在に挿入することが出来る。それも歴史が折り重なって飽和したローマならではの解決法だったんだろう。
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