先週末はジヴェルニーというパリの西、セーヌの下流の街に行ってきた。
ここにはモネが晩年暮らし、自らこしらえたスイレンの庭がある。
これが10月までしか開いていないということだったので、
急遽前日の夜に行くことに決定。
当日は朝7時に集合して、一路西へ。
パリの郊外に出たのはポワッシーのサヴォア邸に続いて二回目。
ブルディエ先生は郊外に出ると10分で田園地帯になるといっていたのに、
列車は走れども走れども、郊外の一戸建て住宅地か工場などが続く。
路線沿いに街が伸びているということだろうか。
ただ、パリの郊外住宅地は、ひたすら同じような住宅がきれいに並び、
(日本のような住宅展示場のようなバラエティ豊かな住宅地ではない。)
電線が走り、住宅同士が非常に接近して立っている。(あまり日本と変わらない)
日本では同じくらいの年代が同じ地区に住み、住民の画一化も問題として発生するが、パリではどうだろうか。
そんなことを考えていると、駅に着く。そこからバスに乗り換え、20分くらい。
やっとたどり着くとそこにはモネの睡蓮そのものの光景が。
緑に塗られたちいさな橋の上から池を振り返ると セーヌから引き込んだ、透き通るような池には睡蓮が葉を広げ、 岸に立つ木々は赤く色づき、雨で波立つ湖面をかすかに染めている。 あいにくの雨も、水面を打つ音が静かな庭に響き、要らない音を消し去ってくれる。
この庭なら、いつもいつも同じ絵をかいてもいけるような気がした。 むしろ、同じ絵なのではなく、モネは毎日少しずつ違う庭の変化を繊細に感じ取っていたのだと思う。 さらに、モネの住んだ家には大量の浮世絵があり、モネの日本好きを教えてくれる。(緑の端は日本橋"Pont de Japonais"という名前!!)
当時のヨーロッパ(特に印象派)に大きな影響を与えたとされるこの浮世絵とモネの絵。 そこにあるつながりは??
近々オルセーとオランジュリーに行くことにしよう。
ジヴェルニーの後は近くにある古都ルーアンへ
ここはジャンヌダルクが火あぶりにされた街らしく、ジャンヌダルク塔、ジャンヌダルク教会、ジャンヌダルクの肖像、ジャンヌダルクだらけの町。
この街もセーヌ沿いに位置しており、街の真ん中を流れるセーヌの中洲に生まれた街である。 パリと違うのは町全体が坂の中にあり、セーヌを一番下にすり鉢上の地形をしていることだ。 直線の坂道の両端にロワール駅とセーヌ川があり、それに直行するように大聖堂とジャンヌダルク教会を結ぶ中心軸が通っている。
ジャンヌダルク教会は、伏した黒い竜のような建物で、内形は東京カテドラルに似ている。
しかし、こちらの曲線は集成材の木構造によってつくられており、 木のにおいがする堂内にはトップライトからおだやかな光が落ちてくる。 ただ、そのトップライト周辺は鉄骨で出来ており、急に木の美しさが鉄骨で失われている気がした。 少し残念。
ロワール大聖堂への道はハーフティンバーの町並みと、細い路地。 物語のような街に迷い込み、金の時計台をくぐると、少し開けた広場に巨大な教会が突然現れる。
ちょうど、広場では楽団のマーチングが、聖堂内部では聖歌隊の合唱があっていた。
教会の中では、高さ30mはあろうかという身廊の中で、音は装飾の施された柱の間を抜けて、堂内に無限に響き渡り、天井に広がる闇に跳ね返って、また自分のところへ帰ってくる。サクレクールでも感じたが、キリスト教の教会の光と音の演出には誰もが息を呑む。
パリのノートルダムに匹敵するくらいの巨大な教会を後にロワール美術館へ。モネの描いたロワール教会を見るためだ。
しかし残された時間は15分、壁に並ぶジャンヌダルクの肖像の前も、印象派の明るい幸福な絵の前も走るように通り過ぎ、やっと一番奥の部屋に、探していたその絵を見つけたときには、息が切れ、もう感動どころではなかった。その途中で一枚だけ見つけたシスレーの洪水の街の連作も良かった。また次の機会にじっくり見たい。
これだけてんこ盛りの一日は、最後に仮装パーティーという最大の山場を控えているのだが、
とりあえずは帰りの電車の中で、しばし休憩。
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