2009年11月28日土曜日

おおののみ

母が来て二日目は大野先生との夕食会だった。大野秀敏と食事をして、直接話をしていることに戸惑ったが、他のみんなは自分の考えをはっきり述べる。なんで俺はこうも話が下手なのか。経た鳴りにせめて聞くのが上手くなりたい。

そのあと、夜のシャンゼリゼへ。多くの露店が並び、赤や黄色や青の光が店からあふれ出し、夜のシャンゼリゼはにぎやかな色に染まる。その先のコンコルド広場には仮設の?観覧車が出現していた。みんなでそれに乗り、シャンゼリゼがトリコロールであったことを発見。都市の祝祭性を実感して帰宅した。

母とパリと

母がパリに来た。
久しぶりに会って、二人でいろいろと見て回った。
久しぶりに日本の空気を感じて、時間がパリから日本にふっと離れた気がした。

初日は母の到着が遅かったので、シャルルドゴールに迎えに行き、そのまま寮へ。
二日目は早速シテ島とヴェルサイユに。
シテ島周辺はいつ見てもゴミひとつ落ちていなくて、パリの表の顔だ。
そのままヴェルサイユへ行き、巨大な庭を見る。そこには正確な幾何学によってつくられた巨大な庭と、大運河。どこまでも続く森の一本一本まで、計算されて人の手がかかっている。
そこになぜかあったのが、建築家の銅像の陳列。完璧な幾何学を崩すように噴水の上をまたぎ、道を横切る。建築家は自らのエゴで、世界の秩序を壊していくことに対する批判なのか。つるし上げにされ、見世物にされた銅像の頭にはハトが止まり、糞をしていた。
さらにここには、マリーアントワネットの庭も。イギリス式庭園に田舎風の集落を作り、擬似田舎暮らしを行った庭だ。どの道も曲線で、曲がりくねり、家には草が生え、自然を装っている。しかし、全てはフェイク。巨大なスケールで模倣することの限界なのか。どうも不自然に思えてしまった。
日本の庭はといえば、箱庭として、壁や回廊によって小さく切り取られているので、その細部まで再現できる。さらに背景を借景し、自然の広がりを演出する。確かに、大徳寺などの小さな箱庭に惹かれても、天龍寺の巨大な庭にはイマイチ惹かれなかった。スケールの問題なのか。
もしくは枯山水のような抽象化によって、間接的に再現するという方法もある。
切り取ることによって、ないしは、抽象化することによってフェイクだということを伝えつつも、自然を模して、それを創造させるような仕掛けを作る。そこにはイギリス庭園のような傲慢さといやらしさは感じないのではないか。

三日目はルーブルとセーヌクルーズに。
ルーブルはモナリザなどの有名作品を見るので精一杯で、作品が多すぎて、酔いそうになる。あまりに多くの視覚情報を一度に取り込みすぎて、情報酔いか。
そのあとはセーヌクルーズに。あいにくの雨だったけど、昼間のセーヌ沿いは夜見たときとは違う姿をしている。夜のほうが点在する歴史的建造物が浮かび上がって、しかも曇っていても平気なので、夜のほうが良いように思う。
そして、凱旋門に行き、ご飯を食べてから、最後にエッフェル塔に。
凱旋門から見たシャンゼリゼや他の11の通りは直線で、強い軸を持っている。パリだけが持つ強力なヴィスタ。劇場のようなバロック都市。ヴェルサイユの庭と共通する美的感覚とその徹底振りには驚かされる。
ご飯はファミレスで食べたが、エスカルゴを食べた。カタツムリとは思えない食感と、肉のようなうまみがあって、以外だったがとてもおいしかった。ワインのつまみによさそう。
そして、夜のエッフェルに。
エッフェル塔の巨大さと夜という非現実な背景があいまって、一時間ごとの音と光の演出はとてもエキサイティングだった。あいにく、ちょうど塔に登りかけているときだったので今度は塔の外から見たい。でも第二展望室からの眺めは圧巻だった。パリの街に浮かぶ数多くのモニュメント。それを結ぶ用の縦横に走るブールバール。夜の闇の浮かび上がったパリの都市構造は星座のように瞬きながら、その姿を刻一刻と変えていくのだろう。パリは凍れる都市ではない。

そして四日目は、母のたっての願いのモンサンミシェッルへ。2週間前に予約した7時の電車に乗るために朝は5時半に出発。途中レンヌでバスに乗り換え、10時半ごろに修道院前に到着。島の周りにはどこまでも続く干潟と、短い草と羊たち。平らな海と干潟に突如として浮かぶ島。そこにそびえる教会の塔。あいにくどんよりした曇りで、でもそのおかげで要塞や監獄としての島の暗い雰囲気が際立つ。
過去の写真を見ると島まで行く道路には、機関車も走っていたようで、今はまだ車で島までいけるが、この道路のために土砂が堆積し、湾内の海流を乱しているとの判断から、この道は近く撤去されるそう。
城に続く階段を登ると、上から見る海は白く、ぼんやりとたたずみ、海と陸の境目も、海と空の境目もなく、ただ全てが漂白された世界が広がっていた。
しかし、小さな路地を抜けて、内外が反復する門を抜け、修道院の最上部に行くころには、徐々に雨風が強くなり、外はついに嵐になっていた。そして、色とりどりの石が詰まれた教会を抜け、その先の回廊の間にたどり着く。今私のいる空間には、外の嵐も、にぎやかな観光客のガイドの声もない。感じるのは、ただ屋根に降った雨の滴る音とその音を通して伝わってくるひんやりとした空気だけだ。静寂の中、俺は阿蘇の縁側を思い出した。北九州市美の中庭にも似ている。しかし、あそこにはこの空気の揺れはない。ぴんと張り詰めた、息をすることも許さない空間ではない。二列の列柱のスキマから入ってくるかすかな風とぼんやりした光とリズムを刻む雨音は、こげ茶色の木の尖頭ヴォールトの薄暗い闇で増幅され、冷たい石の床に跳ね返って、俺の肌をなでてくる。その先の食堂。巨大な10本の柱で埋め尽くされた地下聖堂、窓から入る光は狭い柱の間を通って地下の空気を浮かび上がらせる。奥へと続く階段、光と影とベージュ色の石の階段。静謐で、かすかな光の美しい空間だった。

モンパルナスまで帰り、家でご飯を食べた。そして次の日学校を少しだけ見て、母は日本に帰っていった。短い時間だったけど、元気な母に会えてよかった。久しぶり話して、一緒に暮らした学部の4年間を思い出した。あのころはいつも俺の考えを話して、仕事が忙しいのにいつもちゃんと母なりに考えを言ってくれて。結局自分の頭だけで考えることには限界がある。英語だとそれができないと決め付けているのは俺自身のほうかもしれない。彼らとそうやって話し合えるだろうか。
どちらにしても、むしろ俺の行きたいところに付き合ってくれた母に感謝している。

2009年11月25日水曜日

ビルバオ

ビルバオはグッゲンハイム美術館が来るまでは鉄の街として、巨大工業地帯を形成していた。しかし、鋼工業の衰退とともに新たな魅力作りが求められた。

そこで生まれたのが、グッゲンハイム美術館と川沿いのプロムナードである。
おそらく工場が並んでいたであろう川沿いの幅数百メートルのプロムナードは歩行者と自転車とトラムだけの道であり、トラムの軌道から川岸まで芝生が植えられている。緩やかな川のカーブに沿って歩いていくと、いくつもの橋が見えてくる歩行者専用の橋も多く、どれも工夫された橋だ。いくつか橋を過ぎると巨大な灰色の塊が見えてくる。グッゲンハイム美術館だ。

大きくうねる壁。そこに張られた無数のチタンは、厚さ数ミリしかない。その数ミリの表面が曇り空の弱い光を反射し、夜には炎の揺らめきを映しながら、巨大な壁になる。
ゲーリーの作品はパリにもある。アメリカンセンターとして建てられ、今はシネマテークになっている。ここにいったときも感じたことだが、ゲーリーの建物は不思議なところから光が落ちてくる。建物の中なのに突然光が降ってくることがあるのだ。
グッゲンハイムもそうだった。夕暮れ時、曇りが晴れて、一瞬光がホールへと入ってきた。普通なら屋根で覆われているべきところが、夕暮れ時の夜の迫ってくる群青の空を映し出し、そこから入った光が同じくうねりながらも、白く塗られ、外壁とは異なる表現をされた曲面の内壁に様々な影を落としていた。

スペインマドリッド

遅くなりました。なかがわです。1週間前になるけど・・・スペインに行ってきました!!

一応名目は設計演習の敷地調査だったけど、ほとんどが観光の8日間の旅でした。始めはクラス全員でマドリッドに行き、そのあとクラスの人とは別れ、ビルバオとバルセロナに行ってきました。

まず、マドリッド。

マドリッドは、長いことバルセロナにスペイン第一の都市の座を奪われていたけど、長い間王宮が置かれていた歴史と、王室の美術コレクションを生かし、近年、有名建築家を集めて市内15の美術館、図書館を改修し、その間を結ぶネットワークをアルヴァロ・シザに任せ、新たな芸術の町に生まれ変わろうとしています。さらに、これらは歩いて20分圏内におさまり、その中にマヨール広場といった旧市街、さらに中央駅であるアトーチャ駅を含み、コンパクトで、意外に地形のある街を歩いていると次から次に見所が現れる面白い街になる可能性を大いに感じました。

中央駅、アトーチャ駅。ラファエルモネオが改修。旧駅舎をそのまま熱帯植物園にして、新駅舎を隣に建設。

ヘルツォーク&ド・ムーロンのカイシャフォーラム。発電所を改修した美術館。コールテン鋼とパトリック・ブランの緑の壁の対比がスペインの強い日差しに照らされて際立つ。

実際、現在はオリンピックに向けて市内各所で工事が進行中。

ちなみに設計の敷地は少し郊外に行ったところの巨大な貨物鉄道駅と川が交わるところ辺り。まだ前の課題が終わって無いので、説明はまた今度ということで。。

マドリッドは街は楽しいし、食べ物もおいしいし、安い。ビールも生ハムも1ユーロ!!ただ、治安が悪い。特に地下鉄にスリが大量にいて、友達が二人財布を盗まれてしまった。俺もカバンを3回も開けられて、本当に危険。みんなもマドリッドは注意しましょう。恐ろしい街。他の点は良いだけにもったいない。

マドリッドに3日いて、そのあとビルバオに一日、バルセロナに三日滞在。

言わずと知れたグッゲンハイム美術館。薄曇りの日。厚さ数ミリのチタンの外壁は薄鈍色のグラデーションを奏で、夜には炎と霧のスペクタクルを怪しげに映す。大きな作品としての美術館。

ガウディ。ここは腐海の底なんだと確信。スペインは本当に暖かくて、毎日晴れて。最高に気持ちがいい国だった。今度はポルトガルに行くついでに、グラナダとか南のほうにも行ってみたい。スペイン語選択だったことが少しは役に立ったしね。

最後にマドリッドで見つけた屋台。鉄板でできていて、閉店していると家型に。開店すると壁が持ち上がって、庇かつ照明に。街のいたるところに転がってます。

スペインの太陽

遅くなりました。なかがわです。
1週間前になるけど・・・スペインに行ってきました!!

一応名目は設計演習の敷地調査だったけど、ほとんどが観光の8日間の旅でした。
始めはクラス全員でマドリッドに行き、そのあとクラスの人とは別れ、ビルバオとバルセロナに行ってきました。

まず、マドリッド。
マドリッドは、長いことバルセロナにスペイン第一の都市の座を奪われていたけど、長い間王宮が置かれていた歴史と、王室の美術コレクションを生かし、近年、有名建築家を集めて市内15の美術館、図書館を改修し、その間を結ぶネットワークをアルヴァロ・シザに任せ、新たな芸術の町に生まれ変わろうとしています。さらに、これらは歩いて20分圏内におさまり、その中にマヨール広場といった旧市街、さらに中央駅であるアトーチャ駅を含み、コンパクトで、意外に地形のある街を歩いていると次から次に見所が現れる面白い街になる可能性を大いに感じました。

中央駅、アトーチャ駅。ラファエルモネオが改修。旧駅舎をそのまま熱帯植物園にして、新駅舎を隣に建設。
ヘルツォーク&ド・ムーロンのカイシャフォーラム。発電所を改修した美術館。コールテン鋼とパトリック・ブランの緑の壁の対比がスペインの強い日差しに照らされて際立つ。

実際、現在はオリンピックに向けて市内各所で工事が進行中。

ちなみに設計の敷地は少し郊外に行ったところの巨大な貨物鉄道駅と川が交わるところ辺り。
まだ前の課題が終わって無いので、説明はまた今度ということで。。

マドリッドは街は楽しいし、食べ物もおいしいし、安い。ビールも生ハムも1ユーロ!!毎日飲んでました。

ただ、治安が悪い。
特に地下鉄にスリが大量にいて、友達が二人財布を盗まれてしまった。
俺もカバンを3回も開けられて、本当に危険。みんなもマドリッドは注意しましょう。恐ろしい街。
他の点は良いだけにもったいない。

マドリッドに3日いて、そのあとビルバオに一日、バルセロナに三日滞在。

ビルバオも面白くて、川沿いのトラムと歩行者専用道を整備して、工業の街から大きく変化していて、そのシンボルが、、、

言わずと知れたグッゲンハイム美術館。薄曇りの日。厚さ数ミリのチタンの外壁は薄鈍色のグラデーションを奏で、夜には炎と霧のスペクタクルを怪しげに映す。大きな作品としての美術館。

バルセロナはグリッドの都市。迷路のような旧市街との明らかな都市構造の違いが印象的。さらに、グリッド都市を斜めに横切る大通りの先にあるのが、、、
ガウディ。
ここは腐海の底なんだと確信。


スペインは本当に暖かくて、毎日晴れて。最高に気持ちがいい国だった。今度はポルトガルに行くついでに、グラナダとか南のほうにも行ってみたい。スペイン語選択だったことが少しは役に立ったしね。


最後にマドリッドで見つけた屋台。鉄板でできていて、閉店していると家型に。開店すると壁が持ち上がって、庇かつ照明に。街のいたるところに転がってます。出口研の次の屋台調査はマドリッドでいかがでしょうか??

2009年11月19日木曜日

スペイン旅行

やっと家に到着。
スペインではたくさん建築を見てきた。し、たくさんおいしいものを食べてきた。
スペインでは俺が一番スペイン語が話せるという、根拠の無い優越感があったせいで、積極的にスペイン語を使うことができた。フランスでも、話せるという自身を持って積極的に話して行こうと思う。

2009年11月6日金曜日

あとからついてくる

昨日のProjectで先生に言われたこと。

面白い断面を描いて来なさい。プログラムは必要ないわけではないけど、断面の後からついてくるものです。

やっと霧が晴れた。中途半端にリサーチして、中途半端にプログラムを考えるよりも思いきっり先生たちに身を任せてみよう。そこから学べるかどうかは、俺の力次第だから。

2009年11月3日火曜日

旅行計画はお早めに

Bonsoir!
なかがわです。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。
パリはめっきり寒くなりました。

朝となればはく息も白く、マフラーをなでた風は木枯らしとなって
プラタナスの葉を道の上に散らしています。

ところで、先週末は「フランスで最も美しい村」めぐりに行ってきました。
レンタカーを借りていったんだけど、片道500kmで、左ハンドルのマニュアル車で、右車線を走らなければならないという大変な旅となりました。

スタートして5分で右のミラーをぶつけ、
3時間後にはクラッチが壊れて、高速道路で立ち往生しました・・・。
慣れない事はするもんじゃないです。
連れて行かれる一台の車

でも、何とか車を交換して、2日間は村巡りが出来ました。
崖の上に建つ協会と崖の上に立つ一人の男
景色には脇目もふらず234段の階段を全力で駆け上がる二人の男。
このあと、二人のうち一人は走りすぎて、吐き気を催すほど気分が悪くなるとも知らずに・・・。

これらの村はフランス美しい村協会から「フランスで最も美しい村」として認定され、現在その数は130ほどになっています。今回行った村はどれもフランス中南部で、川で削られた砂岩の岸壁の上や下、もしくはその途中(!!)に張り付くようにして家々が並んでいるのが特徴で、アクロバティックな地形とそこから生えてきたような石造りの家が所狭しと並んでいます。
二日目以降は問題もなく、人生初のフォアグラを食べたりして、楽しいたびでした。
めでたしめでたし・・。

2009年11月2日月曜日

美しい村たち

たった今旅行から帰ってきた!!

今回の旅行のテーマはフランス南部の美しい村を車で回ること。
これらは現在「フランスで最も美しい村」として、フランス国内135ほどの村が厳しい審査基準の下、認定され、その景観や建物を保存しようと取り組んでいる。その中でも最も村が集中しているボルドーの東、Midi-Pirene周辺の村を2泊3日で見て回った。

始めはSarlat
の予定だったが、慣れないマニュアルの運転に加えて、左ハンドル右車線。出発して5分でミラーを壊し、高速に乗ってクラッチが壊れ、高速の道路上で立ち往生。レッカー移動されて、たらい回しにされて・・・散々なスタート。ここで旅行も終了か?と思いきや、保険がおり、車も無料で交換してくれるそう。人生悪いことだらけでは無い。何とか迷いながら夜の11時にSarlatのホテルに着き、少しだけ散歩して、就寝。
ホテルは気のいい夫婦がやっている、丘の上のペンション。朝は、すごい霧で、霧の向こうは空しかないのだろうけど、それはなだらかに下っていく丘が教えてくれるのみである。

朝からSarlatに行き、街を見て回る。石造りの家と迷路のような細い路地、さらに盆地の地形が、街中でも小さな坂道を作り出し、奥へ奥へ分け入っていくような間隔がとても心地いい村だった。

次はBenyac et  崖の上の城と、そこから川までの道沿いに小さな石造りの家並み、急斜面を上った先のお城からの景色は圧巻。
そしてLa Roque  崖の下の川との間の狭いスペースに、妻入りの家々が一列に並ぶ。そして、その背後には崖の斜面に張り付くようにして建つ家と、そのまた背後には、崖の途中のくぼみに砦の遺跡があった。川と崖とそのスキマの人間。空が青くて、川がきれいで、太陽に照らされた石造りの家がきれいだった。 
最後にDomme。俺が運転して、狭い坂道を登った丘の上にある村。村自体はグリッドパターンで、真ん中に四角い広場があり、そこには鍾乳洞の入り口がある。崖の上からの眺めが最高で、この地域を一望できた。すると、遠くに気球があがっているのが見えた。薄く霞みがかった空気と、広大な森と、川。カラフルな気球。夢の世界のようだった。

その後、Cahorsまで高速で行き、ホテルに着いたのが7時半ぐらい、それから夕食を食べに街へ。ハロウィーンの夜で、みんなお店の店員も飲んでしまっていて、誰も料理をつくる人がいない。でも、何とか開いているところを見つけ、フォアグラソースと鴨肉のステーキをがっつり食べた。フォアグラソースが美味しかった。そして、帰ってから、買ってきたVint Noirで飲み会。

二日目はSt Cirq Lapopie。フランスで最も美しい村(美しい村の中でも)と称される村。これも、崖の上の教会と、その斜面に続く石造りの家並み、狭い路地と石畳の道。昔はもうひとつの峰に砦があったらしいけど、今はいい展望台になって、谷を見渡せるようになっている。
この村を見ながら、ふと思った。この村の生活は成り立っているのだろうか。村には八百屋的なものも見当たらないし、農地は崖を下った谷底に少しあるだけだし、どうやって生活しているのだろうか。車で隣村まで買い物に行って、観光業で生計を立てるのか。もしくは、この村が大好きになった、アーティストやホームワーカーが住み着いていくしか、この村を維持するすべは無いのだろう。実際に多くのアーティストが住んで、小さなギャラリーを開いて、町に彩を添えているところがいくつもあった。美しい村を指定することで、村のブランド価値を高め、維持していく狙いがあるのだろう。

最後にRocamador。崖の張り付き具合は一番すごい。崖の途中に、巨大な、高さ15mほどの教会が建つ。村は観光地化しているが、Sarlatでも見かけた、ペルーの笛吹がいて、谷に響き渡る笛の音は、この街の雰囲気とよくあっていた。教会の234段の階段をロイと競争して、きつくて吐き気がしたけど、最後に崖の上の城(私有物!)に登って、見渡した世界は、足元には真下に今来た村が見えて、建物と人がごちゃごちゃ動いていて、視線を上げると、どこまでも遠くが見えて、この世界は自分のものになったような、空へ飛んでいけそうな気がした。この旅行に来てよかった。そう思えた。

ところが、帰りは俺の運転で、高速に乗ると、大雨と霧と夜の高速。最悪の組み合わせで、自分の雨男っぷりを呪った。