今回パリで見た建築の中で”萎えた”建築たち
第1位 ケ・ブランリー美術館(ジャン・ヌーヴェル)
第2位 ラ・ヴィレット公園(チュミ)
第3位 ・・・
ケ・ブランリーは見る価値ない。まずこの建物にはダイアグラムがない。
何もダイアグラムがない建築を悪いといっているじゃない。だって、スカルパだってダイアグラムはない。でも、スカルパは全体としてひとつのことを言えているような気がするんだ。部分無き全体があるようなそんな感じだ。ところが、この建築にはダイアグラムがないこともないが、いくつものダイアグラムがあって、それらが全体としてまとまらずに、それぞれが勝手なことを言ってしまっている。ガラスの塀にしても、巨大なピロティにしても、外壁に突き出たボックスにしても。それぞれは面白いコンセプト足りえるものであったとしても、それらが合わさったときに、綺麗な和音を作り出せていない。むしろ不協和音としか言いようがないと思うんだ。
例えばボックスは外壁に突き出ているけど、内部からそれを感じることはできないし、動線としてそこを展示の一部に組み込めていない。それに窓に張られた、植物のプリントも外から見えすぎるし、安っぽく、未開の文化という展示内容に合わせたものかもしれないが、安直過ぎる。
ジャン・ヌーヴェルの建築の作り方はとにかくかっこいいものを作るということかもしれないが、それが純粋な形で出てきているカルティエ財団などと違って、これはいただけない。
そもそも、この美術館のコンセプトが西欧以外の文化のための美術館を作るというものだが、その考え方自体が西欧とそれ以外という二項対立的な考え方に基づいていて、その間で起こった様々な交換、交渉、影響を考えるためにはその両方を展示すべきではないんだろうか。そして、西欧以外の劣った”未開の”文化をジャングルのような展示室で展示するという偏見と卑下に満ちたものに見えてしょうがないんだ。だから、ぼくはこの美術館は見る価値がないと思う。
これだけ言っといて、何だけど、もし唯一見るとしたら、パトリックブランの緑の壁かな。でも、この壁も北側を向いていて、常に光が当たらないし、そもそも地面に生える植物を無理やり壁に生やしているのだから、相当無理をしている。水を常に与えなければ、土が保水できないし、それでもすぐ枯れてしまうので、しょっちゅう植え替えなければならない。その苦労が見えるという意味で見てもいいかもしれないな。
この投稿は物事を批判的に、論理的に批判するトレーニングなんだ。だからいつもと違う方向性を持って書いてみた。
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