2009年12月30日水曜日

早めに書いとかないと忘れそうなので、東欧旅行を振り返る。

点数もつけてみよう。自分の中でどこが悪くてどこがいいと感じたのかはっきりさせる必要がある。

初めはブダペスト。

朝の4時ごろのバスでパリを出て、飛行機に乗り、2時間ほどでブダペスト空港に着く。

着陸前の窓の外は真っ白で、一面の雪景色の中に、村々や農地や高速道路が地面から盛り上がっているように見える。白という強力な統一感の下で多様性を持つ景観。8.0

しかし俺は何度乗っても飛行機からの眺めが好きでたまらない。神(ムスカ)になった気分に慣れるからか?都市計画が好きなのもそのせいかもしれない。サンテグジュペリも、その魅力に取り付かれて、ついにはそのまま空と一体化してしまった。

いきなり話がそれたが、ブダペストの空港からは列車でホテルまで、その終点の駅が、ブダペスト西駅、エッフェル塔と同じエッフェル設計事務所。

ヨーロッパの駅舎建築としてはオーソドックスな鉄骨の家型大空間。ファサードはレンガを貼り付けてあり、装飾的な双塔とシンプルな家型のバランスがいい。7.0

ブダペストはその名のとおり、町の中心を曲がれるドナウ川をはさんでブダとペストという二つの岸からなっている。ドナウの川幅はセーヌよりも大きく、流れも速い。冬の東欧の寒さでは川と親しむという考えは浮かびもしない。だからだろうか、川沿いは階段が作られているものの、人が近づくようにはなっておらず、川の向こう岸を眺めるための場所としてしか存在していない。むしろ、ブダの丘に立つ王宮とその急峻な斜面を眺めるための引きを作るための存在である。

今日はAUSMIP会

旅行から帰って間もないが、もう年末。
AUSMIP会がここパリで開催される。

昨日はまず3人来た。今日はあと二人?
意外と少ないけど、まあパリの年越しはすごいらしいから。楽しみだ。

2009年12月28日月曜日

帰ってきたぞ・・

東欧の旅から帰ってきた。

結構長いたびだった。

帰るころにはみんな疲れきっていて、男三人とも風邪を引いてしまった。

特に俺はバスを降りたころが最悪で、ふらふらしてろくに歩けもしなかった。

昼について、ノリペにご飯を作ってもらったり、茶碗洗ってもらったり、本当にありがとう。

2009年12月19日土曜日

今は夜中の4時。
ブタペスト最後の夜である。

このクリスマスは東欧で過ごすことにした。
とにかく物価が安い。

ここにはドナウ川があり、その両岸にブダとペストが広がっている。
ブダには急峻な丘が、ペストには平地が広がっている。

2009年12月14日月曜日

ヨーロッパの人の住み方

昨日の夜はホームパーティーに行った。
隣人のホームパーティーだ。
最初は隣でパーティーをやるから、うるさくなりますと断りに来たのかと思ったら、そうではない。
あなたも参加しないかというのだ。
夜。喜んでロイといった。

ギョーム家のホームパーティーも大規模なもので、爆音で音楽を鳴らしながら踊りまくった。
友永さんいわくヨーロッパは床が薄く、音が響きやすいとか。それなのに、ホームパーティーができるのか。
そこが、堀先生が言っていた「集まって住む覚悟」なのだろうか。

ノリペの課題

ノリペの課題はサクレーというパリ郊外の大地に都市を計画しようというもの。

もともとこの地にはヴェルサイユへ水を供給するための水路が通っていた。
その水路上にはいくつかの沼地が残っていて、そこにはボスケと呼ばれる小さな森が残り、周囲を農地に囲まれている。
そこで、丘の微地形を生かし、ボスケが見える範囲をひとつの領域として、都市を計画していく。そうすることで、ボスケ同士の間を埋め、ひとつの水路がサクレーの大地に浮かび上がるようにするのである。

2009年12月13日日曜日

昨日はプロジェが終わって最初の週末。
金曜はトーフとパンテオンへ。途中でロイも合流し、三人で見る。
パンテオンはルイ15世が病気の回復を祝って建てた神殿。現在ではその地下に歴代の革命後の偉人たちが眠る墓所となっている。フランス人にとってこの地下に名を刻むことは最高の名誉なのだろう。
この地下には円形平面の石造りのヴォールトがある。石の冷たい感じはなく、滑らかに継がれた壁と天井は柔らかく、ベージュの光を反射し、不思議な奥へと続く空間になっている。神楽岡幼稚園の内部はこんな感じだろうか。

土曜は朝からみんなで卓球して、昼からロイと二人で、Palais de Tokyoへ。
ラカトン&バッサルのリノベーションによる美術館。彼らがしたのは内壁をはがし、コンクリートや木造の屋根をむき出しにしたこと。そこに貼られた真っ白な壁。抽象と具象の対比が強烈になっている。
しかし、この白い壁の上では全てが作品に見えてしまう。ただの空調ダクト。ただの消火栓の穴。壁に空けられたねずみの穴。
ルーブルのような空間そのものも美術作品のような空間がある一方でホワイトキューブの器としての美術館。どちらも、どれが作品なのか分からなくなるという点では奇妙に一致している。
白い抽象的な空間に作品を置くことと、けばけばしい装飾的な空間。その両方でもない、あるがままの醜悪でさえある姿をあらわにしたこの展示室の天井。個人的には白く塗るだけで作品にする力はすごいと思うが、それだけでいいとは思い切れない。。。。言葉に仕切れない。だめだ

後でわかったことだが、消火栓の穴も、ねずみの穴もアート作品だったようだ。さらには作品のネームプレートを置く台でさえも。。。作家の思う壺ということか。

パリは雪

4年生は卒論終わったんですか!!
本当にご苦労様でした。
何もしてあげられなくて本当に申し訳ない。
卒計の相談には乗ります。池田君!質問あればいつでも連絡ください。

そして俺もProjectがついに終わりました!やっと終わった。

今回は初めてといっていいほど人間関係で苦労したチーム作業だった。というか自分の考えを伝えるのも難しいし、他の人が何を考えているのか分からないし、フォローもなかなかできなくて、、、、「じゃあ休憩にしようか!」が言えなかった。たとえ休憩しても、そのラフな世間話からアイデアが生まれるようなこともなかった。
10月から2ヶ月間ほとんど英語(時々フランス語、時々スペイン語)での議論は本当に疲れた。。

本当は課題をやっている最中に書き込みたかったけど、、遅ればせながら書き込みします。

簡単に課題を説明すると。パリ市(黒枠。スケールは左下のバーが7.5㎞)は人口200万人。周辺もあわせると520万にも達し、郊外への都市域の拡大が起きている。

現在では水運としての機能は建築資材などの少量に減少したが、もともとは水運で栄えた街で、その中心のセーヌ川がパリ市を東から西へ流れ、大西洋へと注いでいる。

現在パリの西側には新たな商業地区(ラ・デファンス地区)に超高層ビルが建設され、セーヌをショートカットするような巨大な直線の軸が西へ西へと向かっている。そのような商業の直線軸に対して、緩やかな曲線を描くセーヌ川。ここに、川の良好な環境を生かして住宅地を広げて行き、川沿いに緑地と文化施設、遊歩道などを設け、文化の軸としてのセーヌ川を背骨にして、無秩序に拡大するパリをセーヌ沿いに矯正しようというのが、全体の大きなコンセプト。

(先生の意図もこういうところにあるのだと思う。が、趣旨の説明などは一切なかった。むしろ、現在パリの都市計画を根本的に見直すために行われているグランパリ計画http://www.legrandparis.culture.gouv.fr/(世界の10人の建築家都市計画家を召集して、調査提案をさせた。)がとても参考になった。)

その上で、セーヌ沿いから敷地を選定し、具体的に設計していった。

敷地はパリのすぐ西側、セーヌの下流沿いで、右岸(北側)には平らな土地の上に放射状の街路を持つパリ市内のようなバロックの街区型の建物と近代以降の高層集合住宅が混在する高級住宅地が存在し、左岸(南側)には戸建ての住宅が斜面沿いに並んでいる。

さらに2つある中洲の一方は高級住宅地、もう一方は空き地である。この空き地はフランスの自動車会社ルノーの工場跡で、再開発されることが決まっている。この付近にはブローニュの森(中上)やフランス王室の庭園(左)などが残り、ヴェルサイユ宮殿までの参道ともなっている。

しかし、川沿い(特に左岸)には幹線道路や、高速道路、トラムや鉄道が並行して走り、水際までのアクセスを困難にしている。水際には駐車場が設置され、水面との間には高い岸壁があり、親水性は皆無。さらに川沿いには、プライベートボートが多数停泊し、ここに住む一部の高所得者だけがセーヌ川を享受している。(セーヌ川には住むことができるらしい。お金持ちのステータスになっている)

そこで、全体のコンセプトを受けて、左岸の水際に文化センターを建設し、セーヌ川をパブリックに開放すること。さらに多くのレイヤーをまたいで、近隣の住民が歩いて水際へとアクセスできるように川と丘をつなぐ道のような建築をつくろうというのが、班のコンセプトだった。形態は「木」のような、一つの根元を持って先に行くにしたがって枝分かれしていくもので、根元の主幹が文化ホールなどになっている。そこから枝分かれした道が地形に沿ってレベルを変えながら、時々内部空間を持ちながら、住宅地の間を抜けていく。
今思えば、学会コンペもIFLAも同じようなことを言っていたような気がするが、、、議論がなかなか進まなくて、結局ディテールまで設計することができなくて、不完全燃焼な部分も多いけど、講評会では先生が褒めていた(らしい。フラ語なので、班の人に聞いただけなので。。。)。

この先生の特徴は、とにかくセクションを書かせること。現在の都市計画が平面的にしかなされず、空間の分析、提案まで行っていないことに対する回答として、都市断面を取ることで、平面では見えなかった問題を浮き彫りにし、空間的な提案まで行うというもので、その趣旨自体は面白いのだが、セクションしか見ないし、機能を考えることもないので、空間の形だけのスタディになっている班が多かった。(うちもそうだ。)そのコンセプトはいいので、日本に帰るまでにもう一度やり直しできたらいいと思う。あと、次の課題(マドリッド)もあるし・・(また、やるのかぁ。。)

でも、断面的にも「木」を応用したり、根の部分はどうなるのか、などなど。まだまだ考えることはありそう。というかそもそも機能が何も考えられてないし。

みんなの課題やプロジェクトもどんなことやってるのか(やったのか)知りたいです!!upしてほしいです!

とりあえず今は課題が終わって、毎日飲んでる今日この頃です。

そして今日、パリには雪が降りました。

朝方の30分ぐらいだけだったけど、徹夜で飲み明かした目には、窓の外の白い世界がまぶしかった。

2009年12月12日土曜日

前置きが長くなってしまったが、ここまでが全体の課題のコンセプトの説明。
ここから具体的に設計の内容に入る。

このコンセプトを受けて、私たちはパリの西側に伸びる住宅地に対して、川沿いに文化の軸を作り、商業の直線の軸と対照的に、人々が歩いて川にアクセスし、そこでアートに触れたり、緑地を楽しんだりする緩やかに蛇行する軸を作っていこうということを考えた。というよりも、これはジャンヌーヴェルが提案していたことで、それを踏襲し、具体的な敷地をセーヌ沿い30kmの中から選択した。

敷地はパリ市を出てすぐのセーヌ沿いで、ラデファンスの南、近くにブローニュの森やフランス国王の庭園などが残る住宅地である。また川にある2つの中洲のうちのひとつとその対岸(右岸)には、ルノーの巨大な工場が80年代まであったものの、現在では全て取り壊され、巨大な空き地となって、新たな住宅地開発が進められている。その周辺はパリ市のようなバロックの建物と、新規開発の集合住宅が混在する街が、平らな土地の上に広がり、放射状の街路と、街区型の建物群となっている。
その対岸、セーヌの左岸には

Project FINI!!

Projectがついに終わった!やっと終わった。
今回は初めてといっていいほど人間関係で苦労したチーム作業だった。
振り返ってみるとこのプロジェはどういうものだったのだろうか。
本当はやりながら書いていけばよかったのだと思うけど、遅ればせながら書くことにする。

まず課題自体は面白いものだった。
敷地はパリの西、セーヌの下流沿いの郊外住宅地である。
現在パリには、グランパリ計画というものがある。
パリの人口はパリ市だけで200万、周辺を足すと520万人とも言われており、ヨーロッパ随一の都市として、周辺の人口を集め、肥大化した都市は、都心の地価の上昇や都心および郊外の交通問題、郊外住宅地の荒廃、西高東低の経済格差など、多くの問題を抱えている。
これらの問題に対処するために根本的に都市計画を見直し、新たな解決法を見出す必要がある。そのために世界中の建築家や都市計画家10グループに提案をさせようというのが現段階のグランパリ計画である。
しかし、今回のProjectはこのグランパリに対するアンチテーゼとして考えられたもので、
グラン(Grande)パリがその名のとおり、大きなパリを志向し、同心円状に巨大化する都市を想定しているのに対し、今回はセーヌ沿いにその拡大を集中させ、都市の無秩序な拡大を避けようという意図があるようだ。
セーヌ川はパリ市の中心を東から西へと流れていて、その後蛇行しながら、大西洋へと注いでいる。パリは内陸にあるものの、古くから水運が発達し、セーヌも運河化されて、パリより下流の都市や大西洋に出て他国との交易が盛んに行われていた。
現在、水運としての機能は自動車や航空機、鉄道に取って代わられてしまっているものの、現在でも建築資材の運搬などに利用され、また、セーヌから川沿いの建物を眺める遊覧船は観光の目玉となっている。
現在パリ市の西側には、ラデファンスと呼ばれる新都市地区がある。これはグランプロジェの一環として、ミッテラン大統領が行ったパリの経済活性化策にひとつで、コンコルド広場からシャンゼリゼと凱旋門を通って伸びる軸線上に商業の中心として、新凱旋門を始め、多くの高層ビルが立ち並んでいる。さらにこの軸は現在も延長する計画があるようで、パリ市の商業をになう強力な軸となることが想定されているようだ。
セーヌはこの軸を縫うように蛇行し、緩やかに流れていく。その川沿いには閑静な住宅地が並び、川岸には木々が並び、公園や遊歩道が整備されている部分もある。しかし、水運が盛んだった時代の名残で、工場などが川沿いに建てられ、巨大なスケールと住宅地の間に問題を起こしていることもある。
このように、西へと伸びる商業の直線状の軸と、そこに絡みつくセーヌ沿いに、川の良好な環境を利用した住宅地を広げていこうというのがこの課題の趣旨のようだ。
そのときに、ジャンヌーヴェルがグランパリ計画で提案していたように、セーヌ沿いに文化施設などを配置していき、住宅地の中に文化施設、緑地、川の帯をつくり、住民はここに歩いてアクセスしてくるというのが私たちの班のコンセプトだった。

2009年12月4日金曜日

隠れキャラ

六人目のパリ組が帰った。
別れはつらい。

だからさよならも言わなかった。
さよならすら言わなかったことに激しい後悔が襲ってきた。

今ごろは空の上だろうか。
空からこの街を眺めているのだろう。
そして、この走り去った一ヶ月を振り返っているのだろうか。

2009年12月2日水曜日

バルセロナ

バルセロナは本当にいい街だ。暖かいし、毎日晴れて太陽がまぶしい。
ガウディの建築群も、街に敷かれたタイルも強い日差しを受けて、その向こうにある青い青い空と暖かい空気と強い対称をなしている。
こんな町に生まれたから、ガウディの建築はかくも奔放なのだろうか。

サグラダファミリア、グエル公園、コロニアグエル教会、カサバトリョ、カサミラ。
どれも職人の手による曲線によって構成され、ディテールにいたるまで同じものは二つとない。特にカサバトリョは台頭するブルジョアの家の改修で、細部にいたるまで、丁寧に一つ一つデザインが施されている。少々けばけばしいが、青い海のような中庭と屋根裏の魚のえらのような喚起窓のついた廊下がきれいだった。
しかし、カサバトリョにしても、コロニアグエル教会にしても、サグラダファミリアにしても、内部がとても暗い。強い外の日差しを避けるように小さな窓、小さな中庭から、そこにはめられたステンドグラスによって、または部屋にちりばめられた色とりどりにタイルによって、入ってくるかすかな光。その中でうねる壁や天井は不気味ですらある。
サグラダファミリアは未完の巨大な教会。グリッドの新市街の中にあって、唯一その秩序を崩す斜行道路、ディアゴナル。その先に街の焦点となってそびえる4本の塔。最高のロケーションにある教会は、未だに完成していない。塔の横には巨大なクレーンがもうひとつの塔よろしくそびえる。
内部には腐海の底のような上から降ってくる光と、かざりっけのないテクスチャー。工事用の機材が散乱し、ここが教会であるとは思えない。


未完成の教会にシンボライズされるようにこの街もまた未完成だ。
新たな高層ビル群が地中海沿いの海岸地帯に建設され、西のモンジュイックの丘にはカラトラバの奇怪な塔が立つ。かと思えば旧市街の幅3メートルの迷路のような路地がどこまでも、奥へ奥へと私たちをいざない、そこに建つ教会は都市空間を越えるスケール感を持ちながら、光をみたし、外界と切り離されている。
新旧が混じり、ヨーロッパとイスラムが混じるこの都市はいつも、あの暑い太陽のもとで神々しく輝き続けている。

シャンゼリゼ完全体

再び夜のシャンゼリゼに行った。

今回はブリュッセル組みの小出君とノリペとの三人で行った。

前回は点灯していなかったシャンゼリゼの並木道のライトアップが点灯し、シャンゼリゼはいつもテレビで見ていた姿になった。青と白のライトに通り沿いに出た出店からの赤や黄色の明かりが加わり、街はクリスマス一色となった。年中お祭りの街の最も盛り上がる瞬間かもしれない。ホットワインやジャーマンポテト、耳あてや木工おもちゃ、サーカスから滑り台まであらゆる店が軒を連ねる。

しかし、これらの屋台は誰が営業しているのだろうか。白く塗られた木で統一されたデザインは市が一括して管理していることを感じさせる。日本では屋台や出店は暴力団の資金源となっていることも多いが、こちらではどうだろうか。また、シャンゼリゼは歩道が広く、車道の外側に並木と歩道で20mほどの空間があり、そこに屋台が並んでいる。歩道が狭い日本ではできそうにない。

ただ逆に建物のファサード工事をするときなどは街区型の建物で、工事関係者の事務所を作るスペースがないため、車道の上にピロティを作って空中にプレハブを建てている。狭い街路と広い街路の使い分けが鮮やかだ。

この日は観覧車には乗らずにエッフェル塔の1時間毎の光と音のアートを見に行った。音はいまいちだったが、エッフェル塔がパリにおいて果たしている役割、その存在感。エッフェル塔のないパリは想像できない。